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宮内洋

宮内洋



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Wikipedia

宮内 洋(みやうち ひろし、1947年〈昭和22年〉6月14日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。丹波プロダクション、東映俳優センターを経て、現在はオフィス28に所属。

東京都杉並区出身。日本大学商学部経営学科卒業。

人物

既婚で、息子が一人。息子は東京都中野区でバーを経営している。

特技は、空手(三段)、柔道(初段)、剣道(三級)、乗馬、スキューバダイビング。俳優の京本政樹との対談の中で「剣道だけが級止まりで浮いている。段をとっておけばよかったと後悔している」と述べている。

ファンサービスにも熱心であり、子供からのファンレターに対しては平仮名を用い、子供にも読めるよう字を崩さずに書くことを心掛けている。

「特撮ヒーロー番組とは子供達に正義の心を教える教育番組に外ならない」とのポリシーを示しており、「愛と、勇気と、正義と、希望。そういったものを与えるのがヒーローであります」と、今もなお一貫してヒーローの美学を説き続けている。

宮内自身が主演をつとめた4本の作品について均等に思い入れがあり、京本政樹の「これまでの中で一番思い入れのある作品は」という質問に対して「全部です」と答えている。

2012年4月9日に行われた映画のイベント(『秘密戦隊ゴレンジャー』で共演した誠直也とのトークイベント)で、2008年に閉塞性動脈硬化症で体内に人工血管を入れる大手術を受けていたことを明かしている。手術は8時間におよび、処置が遅ければ生命の危険もあったとのこと。この手術について、バラエティ番組のインタビューで「人造人間になってしまったかな」と答えている。

エピソード

『仮面ライダーV3』

出演経緯
『仮面ライダーV3』への出演はオーディションではなく、関係者によりリストアップされた候補者の中から内定し、面接が行われた。『キイハンター』の裏磐梯でのロケ時に、制作スタッフから『V3』のことを知らされぬまま、毎日放送の東京支社へ向かうよう指示される。面接だと知らぬまま待っていたため、関係者にふてぶてしい態度をとっていたが、それが豪胆なように見られ、逆に気に入られた。アクションができるか?バイクに乗れるか?と聞かれ、その場でも『V3』の話はでず、翌日、福島へ戻ってから「次の仮面ライダーに決定」と連絡をもらった。師匠の丹波哲郎に相談したところ、「スーツアクターのオファーが来た」と勘違いされた。
演技について
出演が決定してからビデオデッキを購入して、初代『仮面ライダー』を録画して撮影前の演技プランを立てていたが、何本か見たら…「勝った!!」と思っていた。その理由を「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられる」と思ったからである。「身体の動かし方」「カメラからの見え方」などを教わった経験で、変身前のアクションシーンを増やしてもらうよう、スタッフに依頼していた。千葉から学んだことを活かし、“アクション俳優”として普通の役者にはできないようなシーンに挑戦したいという気持ちや、役者をやっている以上、1分1秒でも長く映っていたいという理由もあった。『仮面ライダーV3』やその他の特撮作品では必ず手袋を着用している理由として、スタントで怪我をするのを防ぐためであるが、これは千葉のアイデアを取り入れたものであるという。千葉が離陸するセスナ 172に飛びつくスタントを『キイハンター』でしているが、宮内洋ものちに同じアクションをこなしている。
前作の1号2号が唸るように声を出しているのに対し、V3は差別化を図るべく叫ぶにしたとこと。『V3』後半では変身時の掛け声が「変身、ブイスリー!!」から、対カニレーザー戦より「変身、ブイスリャー!!」に変わるが、これは本人が「その方が(イ段の音より、ア段の音の方が)エコーが綺麗だから」と意識して変えたものだそうである。変身時以外のセリフでは「ブイスリー」を貫いている。

 

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