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内海桂子



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File:Keiko Yoshie 550308 Scan10003.JPG|thumb|300px|桂子・好江(1955年。右が内海桂子)
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子、1922年9月12日 - )は、日本の芸人、漫才師、俳優|女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。

来歴・人物
弟子の内海好江と約半世紀に亙って音曲漫才漫才コンビ|コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年|97年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で日本映画学校|横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)の専任講師も務めた。
好江の没後は漫才協会|漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」等の軽口もこなす。笑組、ナイツ (お笑いコンビ)|ナイツ、ロケット団 (お笑いコンビ)|ロケット団ら協会所属の若手の舞台に客演したり、デーブ・スペクターらと余興で漫才をする場合もある。2011年(平成23)8月には、あした順子・ひろし|あした順子とでコンビを組んで『笑点』に出演。
桂子・好江の漫才コンビ時代から時流に敏感で、舞台でタイムリーな話題を織り交ぜているのは勿論、近年は公式HPやブログを立ち上げ自らの文章で更新する(共に2012年時点で現存はするものの更新していない)などチャレンジ精神も旺盛。2010年からはTwitterのアカウントを取得し、自らの言葉でツイートを1日数回程度の割合で行っている(ただし、投稿をはじめとする作業はすべてマネージャーである夫が行っている)。
フリーアナウンサー・大沢悠里からは実母とほぼ同い年生まれである事から「おっかさん」と頼られ、内海も現夫・成田からの求婚の際には「どうだかね」と相談し「いいんじゃないの、おっかさん」とアドバイスされるなど、よき関係を続けている。大沢悠里のゆうゆうワイドの人気コーナー『お色気大賞』では、話の終わりのおちゃらかしに内海のお説教が放送される事がある。

年表
*1922年 両親の駆け落ち先の銚子市にて出生、東京市浅草で育つ。
*1923年 関東大震災に遭遇。
*1930年 尋常小学校3年時に、神田錦町の蕎麦屋「更科」に子守り奉公に出される。
*1935年 坂東小三寿らの手ほどきで三味線や日本舞踊を学んでいたところ、舞台からお呼びが掛り始める。
*1938年 高砂家と志松・雀屋〆子の〆子の産休中の代役で、と志松(山形一郎)と組み、浅草橘館で漫才初舞台。
*1941年 と志松との間に長男誕生(事実婚)。
*1942年 と志松とコンビ解消。三枡家好子の芸名で遊芸稼業鑑札取得。女子挺身隊|女子勤労挺身隊北支慰問班に加わり、満州国|奥満州まで巡業。
*1945年〜 吉原 (東京都)|吉原で団子の売り歩きや田原町駅 (東京都)|田原町のキャバレーのホステス|女給をしつつ、時折舞台にも上がる。
林家染団治・小川雅子|林家染団治一門の鹿島洋々・林正二郎#メンバー|林家染芳(後の林正二郎)とコンビを組み、未婚のまま長女を儲けたが、染芳がメタンフェタミン#ヒロポン|ヒロポン薬物中毒|中毒になり別離。 染芳の他、10名ほど相方を替える。 *1950年 林家染団治の紹介で、夫婦漫才荒川小芳・林家染寿の娘で、当時14歳の内海好江を弟子に取り、コンビ結成。
*1956年 猛稽古を重ねて臨んだ第1回NHK新人演芸大賞#NHK新人漫才コンクール|NHK新人漫才コンクールで優勝ならず、ショックを受けた好江が睡眠薬自殺を図るが未遂に終わる。
*1958年 第4回NHK新人漫才コンクールで漸く優勝。

 

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