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梶原雄太

梶原雄太



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Wikipedia

梶原 雄太(かじわら ゆうた、1980年〈昭和55年〉8月7日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber、声優。お笑いコンビ・キングコングのボケ担当。相方は西野亮廣。吉本興業所属。

大阪府大阪市都島区出身、太成高等学校電子機械科(現:太成学院大学高等学校)卒業。5児の父。三男の末っ子。

また、2018年10月から「カジサック」の芸名でYouTubeチャンネル『カジサックの部屋』を開設する。由来は自身が出演していたテレビ番組『はねるのトびら』(フジテレビ系列)の本人曰く非常にスベったコントで演じたキャラクター名から。

来歴

生い立ち

1980年8月7日、大阪府岸和田市で母親が31歳の時に帝王切開で誕生。梶原が産まれる前、母が妊娠したが、父は「家計的にも辛いから下そう」という考えだった。母は「全部働いて、なんとかするからどうしても産ませてください」と告げるも父は納得せず、母は「だったら別れよう」と言い、父は納得したため梶原が誕生した。梶原は「オカンがその意志を貫いてくれたから、オレが産まれてんねん」と述べている。

小学1年生の時に、梶原が誕生日の日にファミリーレストランでご飯を食べに行き、誕生日プレゼントを買ってから帰宅した時に、襖が破れていたり、父親が部屋の中央で倒れていた。その後、両親が離婚。その後親権を決めるために、父親か母親かどっちに行くかという話し合いをした。後々聞いた話では母親の考えでは3人全員育てるという考えだったが、父親は雄太だけは渡さないという考えだった。そこで父親が「本人の気持ちを聞かないと分からない」という提案を出し、子供1人ずつ父親か母親かどっちに行くかという話になる。父親は雄太に気に入られていると思っていたらしいが、梶原は迷わずオカンと答え、結果的に母親が3人を育てる。

当時は大阪府岸和田市に住んでいたが、両親の離婚により大阪市都島区に引っ越す。転校をした時に、自己紹介の後、お辞儀をして顔を上げると同時に変顔をした。周りは大爆笑になった。その日から他のクラスからも「変顔して」などと注目されたが、やっかみもあったという。

小学4年生の時に少年野球に入るも、小学5年生の時にサッカーの顧問の先生に誘われ、野球を辞め、サッカーを始める。当時5年生でレギュラーを取り、6年生で大阪代表に選ばれる。この時にJリーグが発足され、夢がJリーガーになるが、小さな引き出しにお笑いしたいという気持ちもあった。

中学に上がるとサッカー部がなかった。大阪市で1位になるほど強いサッカーチームに入るも、中学2年生の時にはお笑いをしたいという気持ちが高まった。

中学3年生の時に「母親にお笑い芸人になろうと思うねん」と告げるが、母親は「嫌やな。お尻出すやろ。芸人さんはお尻出すイメージがあるねん。雄太が奇跡的にテレビに出られたとしても、お尻を出すことは嫌やな」と断られる。しかし「お尻出さん」と約束すると、母親は「じゃあいいよ」とあっさり了承を得たものの、芸人の世界は甘くないと話す。そこで梶原は高校を卒業して5年間で結果出すから、結果が出なかったらやめると決意。余談だが、はねるのトびらの深夜時代に放送されていた今日のわんこで尻を出した。後にYouTubeのサブチャンネルで投稿されているカジサックの屋根裏部屋で謝罪している。

NSC在学中に素人名人会から声が掛かり漫才をした。当時NINNIN丸というコンビ名で吉田という人と活動していた。コンビ名で出るのは変だったため吉田・梶原で出演した。ちなみに出演約30分前に西野に電話した後西野が駆け付け、扉が開いたときにNINNIN丸の漫才が始まっていたと述べている。その後素人名人会の賞を取っている。

芸人デビュー

NINNIN丸を解散する前、吉田が西野とコンビを組んでくれとダメ元で言うも断られる。梶原曰く吉田は「カジは西野とコンビを組むと思ったから、先に俺が動きたくてちょっと下品な真似をしてしまった」と述べ謝罪し、その後「お前ら2人やったら絶対売れるから」と2人の活動を応援し、解散。現在吉田は警察官をしているとのこと。

1999年9月、キングコングを結成。

2001年に『はねるのトびら』のレギュラーに選ばれる。番組内ではボケ役を担当し、相方の西野とともにリーダーシップを取ることが多かった。


 

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