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山本陽子

山本陽子



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Wikipedia

山本 陽子(やまもと ようこ、1942年3月17日 - 2024年2月20日)は、日本の女優。東京府東京市(現東京都)中野区出身。株式会社三陽企画所属。國學院高等学校卒業。

来歴

4人兄弟(兄、姉、弟)で、4人年子。

高校卒業後は野村證券投資相談部に勤務していたが、1963年に知人が日活に山本の応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界に入る。同期には、西尾三枝子、谷隼人、沖田峻一郎などがいる。1963年に女優デビュー(ただし、マスメディアによっては「1964年4月にデビュー」とする場合もある)。

映画では吉永小百合ら「日活三人娘」の人気に押され、なかなか作品には恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは日本的で清楚な美貌で人気を集めた。

清楚な役から悪女までカバーし、女優としての地位を確立。以後、幅広い役をこなす高視聴率女優の1人として人気を博す。

1971年森光子主演の『放浪記』悠起役で初舞台を踏む。1980年、『花埋み』で舞台初主演して以来、舞台女優として数々の作品に出演し精力的な活躍をしており、演技力も高く評価されている。

1994年の『おはん』の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞し、上演回数は400回以上を記録している。2006年には、舞台『いろどり橋』の演技にて名古屋演劇ペンクラブ賞を受賞。2008年、2009年には『放浪記』の舞台では今度は日夏京子役で、上演回数2000回記念舞台に出演している。

高校時代の友人やデビュー前に勤めていた野村證券の同僚達とは、40年以上経っても仲が良く、それぞれの仲間たちと時々会って交流を続けていた。友人たちからは、「がめちゃん」と呼ばれていた(がめつい性格から)。

山本海苔店のイメージモデルを長年務めており、2010年、42年という専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定された。

2012年頃から、第二の人生を楽しむために70歳を機に、東京から静岡県熱海市へ移住し生活を送っていた。

2024年2月20日、熱海市内の病院で急性心不全のため死去した。81歳没。亡くなる数時間前まで元気な様子で甥と行動をともにしており、帰宅直後の急性心不全が死因と発表された。

最晩年も積極的に仕事をこなしており、2024年2月2日放送のテレビ朝日『徹子の部屋』に高橋英樹と共に出演していたが、これが生前最後の出演となった。4月にも舞台出演の予定があったという。

エピソード

中高校時代

戦時中の1945年に一家であきる野市で疎開生活を送り、終戦後国分寺市に転居し、一般的なサラリーマン家庭に育った。子供の頃はおとなしい性格で、中学生くらいまでは人前にあまり出ず、きょうだいとケンカしたり親に叱られることもなかった。


 

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