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奈良岡朋子

奈良岡朋子



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Wikipedia

奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2023年〈令和5年〉3月23日)は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の代表を務めた。父は洋画家の奈良岡正夫。

来歴・人物

東京府東京市本郷区駒込(現:東京都文京区)で生まれる。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白?高等学校・附属中学校)在学中の1945年に父の故郷である青森県弘前市へ疎開し、青森県立弘前中央高等学校を卒業。

1951年、女子美術大学洋画科を卒業する。「女優にならなければ医者になろう、と学生時代は考えていた」と『人生は三百六十五歩のマーチ』(BSフジ、2020年3月7日放送)のゲストトーク内で話している。

大学在学中の1948年、民衆芸術劇場付属俳優養成所に1期生で入所し、同年の『女子寮記』の寮生役が初舞台となる。

1950年、劇団民藝創設に参加し、旗揚げ公演の『かもめ』に小間使役で出演。

1954年の『煉瓦女工』で初めて主役を演じ、『イルクーツク物語』のワーリャ役、『奇跡の人』のサリバン役などに出演し、劇団の中堅女優として活躍した。

宇野重吉、滝沢修の死後は大滝秀治と劇団共同代表を務め、法人の代表権は大滝が持ち奈良岡は取締役を担った。大滝の没後は劇団と法人の代表を務めていた。

2005年から2006年にかけ、『ドライビング・ミス・デイジー』で無名塾の仲代達矢と共演を果たした。

舞台の他、「舞台の合間に受けられる仕事なら」との条件でテレビドラマや映画にも出演。橋田壽賀子脚本作品にはナレーターとして頻繁に起用されていた(『おんな太閤記』『渡る世間は鬼ばかり』などの例外もある)。また、橋田の盟友である石井ふく子プロデュース作品にも演者・ナレーターとして起用されていた。

洋画吹替えでは、ジャンヌ・モローやキャサリン・ヘプバーンを担当した。

父の影響で幼い時から絵筆に親しんでいた。しかし、大学在籍中の奈良岡が民衆芸術劇場付属俳優養成所を受験して合格したことに対して、父は快く思わず「役者を目指すと宣言した時、愛用の絵の具を父親に取り上げられた。趣味で絵をやるのはオレが許さんという訳だったのでしょう」とスポーツニッポンの取材に明かしたこともあった。愛煙家でもあり、大好きなパチンコが趣味でもあった。

晩年は、原爆投下後の広島を描いた井伏鱒二作『黒い雨』の朗読劇をライフワークとした。

2023年3月23日午後10時50分、肺炎のため、東京都内の病院で死去。93歳没。生涯独身だった。葬儀は同月26日に近親者のみで執り行われ、姪で劇団民芸演出家である丹野郁弓が喪主を務めた。なお、故人の意向によりお別れの会は執り行われなかった。

交友関係

奈良岡は宇野重吉、杉村春子、石原裕次郎、美空ひばりの故人4人の名を挙げ、生前にメッセージを残していた。


 

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