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林家木久扇



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Wikipedia

林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年(昭和12年)10月19日 - )は、落語家・漫画家・画家。旧名は初代林家木久蔵(はやしや きくぞう)。本名豊田 洋(とよた ひろし)。血液型A型。出囃子 (落語)|出囃子は『宮さん宮さん』。家紋|定紋は、林家彦六一門の定紋である『ツタ#家紋|光琳の蔭蔦』。愛称は木久ちゃん。



来歴・人物 ==<!-- ★以下の記述は、思い込みの激しい人物によって歪曲や針小棒大な記述で、ムチャクチャな編集が為されている状態だ。一般事典サイト向けの記述では到底ない。大幅な削除修正がされるべきである★ -->
実家は商売をしており比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。そのためか貧乏を嫌い、終生長屋暮らしだった師匠彦六を「清貧に甘んじ人情に厚い人」と評する一方で「噺家は貧乏でもいいという姿勢」を欠点とし、「噺の中に出てくる人物と同色の暮らし向きをして、若手落語家たちにあれが老成大家の未来像なんだと植えつけてしまった(例として、落語会のギャラを自分の分だけでなく、弟子達の分まで半分相手に返してしまう行動など)」と記している。寄席に登場し一礼すると、「スーパースターの林家木久扇でございます。」と挨拶し、観客の笑いを誘い、掴みを取る。
「現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している」とも批判している。反面、インタビュー依頼電話に「私が喋るのは只じゃござんせん」とプロ意識を持っていた師匠彦六の天敵三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生、豪邸を建てた古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝、師匠彦六と同じ長屋住まいだが「横丁の大金持ち」とあだ名されるほど貯金を貯め、脳出血|脳溢血で倒れた際入院費・治療代を全額貯金を払って亡くなり、一方亡くなる直前まで金のことを考えていた師匠彦六の友人桂文治 (9代目)|9代目桂文治を賞賛している。
木久扇が圓生の考えに賛同する部分は特に経済観念であり、噺家活動の方向性については「落語は古典でなくては、のかたまり」「指導力のある人だが、一方的」と感じていたと『ぼくの人生落語だよ』で記している。また、志ん朝の父・古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生は対極的に“貧乏長屋”の代名詞として、今なお志ん生一門中心に噺家の小咄のネタとなっている。
木久扇のライバルは“先月の売り上げ”である(ラーメンだけでなく、噺家・作家としての売り上げも含む)。
多芸多趣味であることもあり、落語界の外に多くの知己を持っている。大御所になってからも絵の師匠に弟子入りしたりしている。
『笑点』などで脱力的なキャラクターが認知されているが、随筆|エッセイや著書からは、キャラクターのイメージとは異なる、相当のインテリであることを窺わせる。時代劇や日本の歴史|日本史に造詣が深く、日本放送協会|NHKの歴史番組などにゲスト出演する際は、笑点でのキャラクターとは別人のようである(2007年5月6日放送分の『笑点』の新芸名発表の映像でも、実際の自身とキャラクターのギャップの苦と、改名することによって、ギャップからの離脱、自然体になりたいことを明かしている。実際に、自分と笑点のキャラクターの間で悩み、早世した人物に、三遊亭小圓遊#4代目|4代目三遊亭小圓遊がいる)。
太平洋戦争終戦までに生まれた東京の落語家では珍しく、一人称を「僕」と言うことが多い(大抵は「アタシ」)。
『笑点』で大喜利メンバー時代から木久扇を一番いじっていた桂歌丸は、「馬鹿を装っているのが一番楽。(木久扇は)頭が良い」とインタビューで語っている。また、大喜利の中で木久蔵(当時)が自分の落語について自虐的なネタを言うと、三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽が「木久蔵さんの落語で笑わない奴はいない」とフォローしたこともある(これはネタではなく、本心である)。これは歌丸も同様で、5代目圓楽のフォローに同意したり、司会者となってからも首を横に振って否定する仕草を見せていた。
私生活では、常に帽子を目深にかぶり、絶対に有名人であることを悟られないように用心深く過ごしている。弟子もつけないことが多い。清水崑からは門弟中に「ひとり高く、孤高であれ、お前さん群れなさんなよ」とよく励まされており、その言葉の影響もある模様。
楽屋での人間関係は孤立気味であり、会話はもちろん視線を合わすことも避けられている。これは嫌われているのではなく、不意に変なもうけ話をメンバーに持ち込むため、他のメンバーが絡みづらいと感じているからだとされる。三遊亭圓楽 (6代目)|6代目三遊亭円楽は東京スポーツからのインタビューで「たまたま目が合ったら、近づいてきて、“いい木材を大量に仕入れたからそれを彫り物にして売ろうよ”と持ちかけられた」と暴露した。また、過去にゾウ|象を輸入して観光料で儲けようとしたが、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)に引っかかって大儲けどころか、象が輸入されずに大損したこともある。この時の象は木久象とまで名前をつけていた<!--木久蔵となっていましたが、著書では「木久象」と蔵ではなく象になっていました-->。とはいえ、若い時分には、師匠連にお茶を出すのは大変だ、ということで二口急須を発明して商品化されるなど、成功した事例もある。
本人の著書によれば、1976年に(本に1967年とあるのは誤り)イレウス|腸閉塞症に罹り、生存率60%といわれる手術を成功させている。この時臨死体験に近いことを体験した。「ウチくる!?」出演時には手術後、点滴が外れていない時期に「笑点」の収録に参加、舞台上で痛みを堪えてよじってはいけない体をよじっていたことを告白している。なお、このお陰で「笑点」の収録は無欠席であるとも述べている。父親は胃癌で死んだが、2000年に本人も胃癌に罹り、胃を3分の2切除している。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前(2000年)に木久扇がガンを患ったことに触れており、「(木久扇が)元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい」と述べている。
赤塚不二夫やタモリとは長く親交があり、彼らの仕事場や宴会にはよく顔を出している。また横山やすしとは親友の間柄であり、やすしを全国ラーメン党の副会長兼大阪支部長に任命したことがある。
3代目三木助死後、三木助の死後まで残っていた門弟達は、三木助と同じ筋である桂文楽 (8代目)|8代目桂文楽、柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さんを前に次の新たな師匠を決めさせられ、木久蔵(当時・木久男)以外の門弟は皆小さんを選択した。それにもかかわらず8代目林家正蔵一門へ移籍したのは、三木助の病床時に林家正蔵が見舞金を贈ってきたことに対し、「これが一番嬉しい」と三木助夫人が言っていたため。当時の木久男はまだ前座になりたてで、落語界の人間関係をよく理解していなかったと語る。
自身の選定により、
* 家が狭いこと(貧乏長屋であり、部屋数も少ない。掃除が楽)
* 師匠の子供が既に成人して、自立していること(子守の仕事をすることがない)

 

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<カンフェティ取扱チケット>
S席:3,800円
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(全席指定・税込)
2017年1月7日 (土)
大宮ソニックシティ
大ホール