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藤村忠寿



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Wikipedia

藤村 忠寿(ふじむら ただひさ、1965年5月29日 - )は、日本のテレビディレクター。

来歴

愛知県新城市出身、小学校途中から名古屋市。実家は喫茶店。名古屋市立御幸山中学校、名古屋市立向陽高等学校、北海道大学法学部卒業後の1990年4月、北海道テレビ入社。

中学から大学在学中、ラグビー部に所属し、北大時代は主将としてポジションはフッカー。また、学生時代からHTBでアルバイト経験があり、昔からバラエティ番組が好きだったので「テレビ見て笑っていられる仕事」をしたいと思った事が、就職活動の際、HTBへの志望動機であると語っている。

入社後、5年間は東京支社編成業務部に所属し、スポット業務を担当。1995年春の人事にて、本社制作部に異動し、『モザイクな夜』の制作チームに配属。何も知らない状態からテレビ番組の制作を担当して行く。(V3は異動半年後)

1996年10月、『モザイクな夜V3』の後継番組として放送を開始した『水曜どうでしょう』のチーフディレクターに就任。同番組シリーズの人気が(もしくはそのシリーズである『どうでしょうリターンズ』・『水曜どうでしょうClassic』)は、地方ローカル番組としては異例の全国放送・DVD全国発売・インターネット放送・番組本、写真集発売等、様々な事業を展開しており、放送開始以降、基本的に同番組関連業務を嬉野と共に専従で務めている。

2010年4月の人事にて、HTBの組織変更に伴い、製作部からコンテンツ事業室へ異動。事業室では番組制作に直接関わる部署では無いが、その後も嬉野と同様に『水曜どうでしょう』の番組制作に専従。また、自身が民放労連北海道テレビ労組のリーダーを務めていた関係で「基本的に会社に対して反抗的であったので役職付けとして昇進出来ない」と共演者である大泉に指摘されている

2014年から劇団イナダ組と関わって以降、役者として舞台出演する機会が増えて行き、2015年6月に藤村源五郎一座を旗揚げし、読売テレビの西田二郎も参加している。

2016年4月1日付人事にて、コンテンツ事業室兼編成局クリエイティブフェローに就任。

人物

会社員として

1996年10月、『モザイクな夜V3』の後番組として放送を開始した『水曜どうでしょう』のチーフディレクターに就任。同番組(もしくはそのシリーズである『どうでしょうリターンズ』・『水曜どうでしょうClassic』)は、地方ローカル番組としては異例の全国放送・DVD全国発売・インターネット放送・番組本、写真集発売等、様々な事業を展開している。

締め切りが近づいてしまい、構成作家・タレントのコネがなかったために初めて制作したVTRは「藤村自身が股間にゾウのぬいぐるみさんをつけて出演する」というものであった。これを見た出演者の鈴井貴之は「とんでもないやつがやってきた」と語っている。

入社後、5年間はHTB東京支社編成業務部に所属し、スポットデスク業務に携わる。このことがその後の視聴率を重視する番組制作につながっていく。

HTBスペシャルドラマ『歓喜の歌』(開局40周年記念作品)、『ミエルヒ』の監督などHTB全社を挙げて取り組む番組の制作にも携わっている。

『ミエルヒ』は、HTBの制作番組としては初めてギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、放送文化基金賞(番組部門テレビドラマ番組賞)など、その年のドラマ賞を総なめにした。また、前述の役者としての芝居活動を会社から「出勤扱い」にされている。

『水曜どうでしょう』のチーフディレクターとして

『モザイクな夜V3』に出演していた、当時:一大学生であった大泉洋の才能や将来性をいち早く見出し、『水曜どうでしょう』の番組立上げに当たり、芸歴がほとんどない大泉の起用を決断した。


 

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