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なだぎ武



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Wikipedia

なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年10月9日 - )は、日本のコメディアン、お笑いタレント、漫談家、俳優である。本名、灘儀 武(読み同じ)。

大阪府堺市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

生い立ち

大阪府堺市に出生。

小学校卒業間際から肥満児となりいじめられるようになり、中学2年時には更にエスカレートし、なだぎの弁当に砂を入れる、殴る蹴るの暴行を加え、なだぎの顔をトイレの大便器に突っ込む等、凄惨な内容になった。しかし小学生時代に塾をサボった時、父親に初めて殴られ「嘘だけはつくな」と諭された経験や、いじめをする同級生を許すことで精神的優位に立とうという気持ちから、学校を休むことはなかった。中学3年で身長が伸びて普通体型になったことや、いじめの首謀者とクラスが離れたことからいじめはなくなったが、人との交流が不得手になっていたため孤独に過ごした。高校には行かずにメッキ工場に就職したが、半年ほどで退職した。その後小学生時から憧れていたテレビの世界に入りたくて、芸能事務所のタレント募集に応募。書類審査を通過したが、面接試験には会場まで行くもあまりの緊張に逃げて帰ってきたことを契機に引きこもるようになる。

引きこもりの時期は部屋にこもって、小学生時に交流のあった大学生からもらった音楽や本を手当たり次第に聴いたり読んだりして、学校で学ぶものよりも重要なものを得ていると思うことで自分を肯定していた。しかし、そういった生活を親に申し訳なく思う気持ちから母親が部屋に届けてくれていた食事にも手を付けなくなり、飲み物と果物以外のものを口にしなくなった。ある時、鏡に映った病的に痩せ細った自分の姿に驚いて病院へ行くと、担当医から「このままでは死ぬよ」と言われたことや、引きこもっていた時期に読み耽ったジョージ秋山の漫画や吉田拓郎の歌に衝撃を受けたことが引き金となり、挫折や負の感情をも受け入れる決意。闇の世界から脱却する一歩を踏み出すことにした。

17歳の正月に初めて観た「男はつらいよ」の主人公の車寅次郎の伸び伸びとした生活に憧れ、流れに身を任せる気になり、母親の勧めでラーメン店でアルバイトを始めた。しかし仕事中の怪我がきっかけでアルバイトも辞め、かつて観た映画の舞台である広島の尾道にひとり旅をした。その際に食中毒で倒れていたところを旅館の女将さんに助けてもらい、そこでのふれあいが人嫌いを直すきっかけになる。

芸人を目指すきっかけ

NSCは、幼なじみでかろうじて付き合いのあった松村博司の履歴書を勝手に書いて申し込んだ。その後松村を説得し、NSCへ入学。しかし授業のネタ見せでは全然笑いが取れず、芸人になる自信は持てなかったが、引きこもりから脱却する経験として一年間を過ごすことにする。

スミス夫人

1989年の4月、当時18歳だったなだぎは、NSC大阪の8期生として加入し、同年8月に同期の松村博司と「スミス夫人」を結成した。このコンビ名はヒッチコックのコメディ作品『スミス夫妻(Mr. and Mrs. Smith)』からつけられたものである。

コンビ当時は松村のボケに対してなだぎがツッコミを入れるが、松村は延々とボケ続けるというスタイルのコントが多かった。2001年に解散。

ザ・プラン9

コンビ解散から1年後の2002年、ザ・プラン9にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入した。加入当初はナギナギオという芸名で活動していたがヤナギブソンと名前を間違えられる事が多くなったことで2003年に本名の灘儀武に戻すも、読みやすいようにとのことで2005年6月に再び改名しなだぎ武になった。

ザ・プラン9の結成が2001年であることや遅咲きであることから、一年後輩のナインティナイン、同期の千原兄弟やFUJIWARAなどが中堅芸人として扱われる一方若手芸人の扱いを受けることが多い。また、ブレイクした時期で考えるとお笑い第五世代の芸人に分類されているため、第五世代の芸人の中で最も芸歴が長い。プラン9本公演では主役や物語を大きく動かす役が多い。

2015年5月17日に脱退を発表。脱退後もザ・プラン9の公演に参加するなど交流がある。

R-1連覇

2007年、決勝戦で友近らと戦った。最終結果発表では徳井義実と同点のとなり、審査員による決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果が出てなだぎがR-1王者となった。


 

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