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ロバート

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Wikipedia

ロバート(英語: Robert英語発音: [?r?b?t]英語発音: [?r?b?t])は、英語の男性名。愛称はロビン、ロブ、ロビー、ボブ、ボビーなどとなる。異形にルパート(Rupert, Ruppert)がある。

ドイツ語ロベルトあるいはローベルト、チェコ語ロベルト、フランス語ロベール、イタリア語・スペイン語ロベルト(Roberto)、ポルトガル語ホベルト(Roberto)、ハンガリー語ローベルト(R?bert)に相当する。

語源

Robertの直接の古形は古高ドイツ語のHruodpherhtHrodperhtであると考えられている。

一般に前半のHruod-は「名声」を意味するとされている。これはインド・ヨーロッパ祖語の*gar(告げる、叫ぶ、吠える)に遡ることができ、古代インド・アーリア語ではk?r?h(詩人、吟遊詩人)、ギリシア語ではk?rux(布告する者、先触れ、使者)といった語のもとになった。ゲルマン祖語では*hr?となり、さらに古高ドイツ語のHruodとなった。この語はオーディン信仰と深く係る語だったと考えられている。オーディンはルーン文字を会得することで全知能力を得たとされているが、古代の詩人は、文字を操り、神の言葉を預かり、先祖の歴史を語り、王を佑ける存在だった。

Hruod-はのちにRo-に転訛するが、これはロジャー(Roger)、ローランド(Roland)、ロードリック(Roderick)のRo-も源流は同じだと考えられている。

後半の-perhtは「輝く」と解釈されている。この語は古英語のbeorhtになり、brehtbrichtを経て近代英語のbrightに転訛した。この語は、光で闇を照らし、将来を予見したり進むべき道を前知する、といった性質をもっている。

Hruodpherhtという古い名前は、直接グレートブリテン島に伝わり、アングロ・サクソン人のあいだではHreodbeorhtという名前になった。しかし、現代のイギリスで普遍的な「ロバート」はここから派生したものではなく、後述するようにノルマン人の名前を経由して広まったものである。

伝播

ロバート(ロベール)は、もともとはフランク人のあいだでポピュラーな名前だった。これには彼らのオーディン信仰が関わっているとされている。8世紀にはロベール家が西フランク王国で大勢力を築き、10世紀には王朝を開くに至っている。

しかし、「Robert」をヨーロッパ広域へ広めた直接の祖は10世紀にノルマン国を築いたロロとノルマン人とされている。ロロはノルマン人を率い、スカンディナヴィアから出てフランスへ侵入し、西フランク王国から北西部の海岸地帯(後にノルマンディー地方と呼ばれるようになる)を奪い取って国を築いた。このとき、王権を認められるにあたってキリスト教に改宗し、名をRobert(ロベール)に改めた。彼の子孫でノルマンディー家の後継者たちもしばしば「Robert(ロベール)」を名乗った。この故事により、ノルマン系ヨーロッパ人にとって「Robert」は祖先の英雄を思わせる名前となった。その後、ノルマン人はイギリスや南イタリアを征服し、「Robert」はイギリスやイタリア南部でもポピュラーな名前になっていった。(イギリスに関してはノルマン・コンクエスト、南イタリアに関してはノルマン人による南イタリア征服を参照。)

ノルマン人はもともと何百年にもわたって北海沿岸を荒らしまわった略奪者で、武勇と狡猾さを兼ね備えていた。彼らはノルマン公国を足がかりにヨーロッパ西部や南部へ勢力を拡大したが、その頃ヨーロッパの東の端ではイスラム教徒の進出が脅威になっていた。十字軍の遠征が起こると、ノルマン人たちはこぞって遠征に参加し、戦闘で活躍し、英雄譚を残した。その結果、ノルマン系のRobert、William、Richard、Rogerといった名前がヨーロッパ中で人気になり、ノルマン人以外にも広まっていった。

ノルマンディーの「ロベール」

ロロは建国の時に改宗してロベールに名を改めた。その後裔は代々ノルマンディー公を継いだが、ロロから数えて6代目が「悪魔公」ロベール1世である。ロベール1世は残忍な人物だったとされ、ヨーロッパ各地に伝わる悪魔ロバート伝説のモデルとされる場合もある。反面、熱心なキリスト教信者で、エルサレムへの旅に出て聖地巡礼を果たし、その帰路に客死した。

ロベール1世の子はドーバー海峡を越えてイギリスへ遠征してイングランドを征服し、「征服王」ウィリアム1世となった。以後、この子孫の嫡流はイングランド王国へ移り、父祖伝来の地であるノルマンディー地方はその属領のように扱われた。13世紀のはじめにはノルマンディー地方はフランス王家に奪われ、この地方に対するイングランド王の実権は失われたが、僅かに残された島嶼部(チャンネル諸島)を以って「ノルマンディー公」の称号は残された。

ロベール1世の孫にあたるノルマンディー公ロベール2世は、第1回十字軍に呼応するため領地のノルマンディーを担保に軍資金を確保し、遠征に参加した。ロベール2世はニカイア、ドリュラエウム、アンティオキアなどの戦勝に貢献し、エルサレム奪還を果たした。ロベール2世はこの遠征で聖ゲオルギオス伝説をヨーロッパへ持ち帰った人物とされており、イギリスの守護者「聖ジョージ」やイングランド国旗の聖ゲオルギウス十字はこれに由来する。

フランドルの「ロベール」

フランス北部からオランダ南部に横たわるフランドル地方はフランドル伯の領地で、フランス王室やイングランド王室と縁戚関係を結んで王国としての独立性を保っていた。ノルマンディーからイングランドを征服した征服王ウィリアム1世はフランドル伯の姫を妻に迎えており、その長男が上述のノルマンディー公ロベール2世である。

第1回十字軍の頃のフランドル伯もロベール2世といい、ノルマンディー公ロベール2世とは従兄弟同士の関係になる。フランドル伯ロベール2世も第1回十字軍に参加し、エルサレム入城を果たしている。

イタリアの「ロベルト」


 

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