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小野梓

小野梓



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Wikipedia

小野 梓(おの あずさ、1852年3月10日(嘉永5年2月20日) - 1886年(明治19年)1月11日)は、日本の法学者。明治の政治運動家。専門は英米法。

概略

土佐国宿毛(高知県宿毛市)出身。男性。親友であった大隈重信を助け、東京専門学校(現在の早稲田大学)の創立の中心者で早稲田大学建学の母と言われている。ジェレミー・ベンサムの思想を分析した。

来歴

  • 1852年3月10日(嘉永5年2月20日): 土佐国幡多郡宿毛に軽格武士の小野節吉・助野の次男として生まれる。幼名は一(てついち、?一)。
  • 1869年(明治2年): 東京に出て昌平学校で学ぶ。
  • 1870年(明治3年): 上海に渡航し、西洋留学の志を得る。
  • 1871年(明治4年): 春頃から横浜の修文館でアメリカ・オランダ改革派の宣教師サミュエル・ブラウンから英語を学び、バーレーの「万国史」の翻訳に務める。
  • 1872年(明治5年)
    • 3月26日?: 米国留学のため、横浜からアメリカ号でサンフランシスコへ向け出航。
    • マサチューセッツ州のウィリストン・セミナリーに大関増勤ら日本人留学生5人で入学。同校は札幌農学校(現・北海道大学)初代校長のクラーク博士の出身校として知られる。
    • ニューヨーク市の隣のブリックリンに単身移動し、1873年夏頃まで滞在。滞在中、ジョンソンから法学の個人指導を受ける。
  • 1873年(明治6年)-1874年(明治7年):英国に留学。
  • 1874年(明治7年): 啓蒙団体「共存同衆」を結成。
  • 1876年(明治9年): 司法省官吏となり、後5年間在職。
  • 1882年(明治15年): 3月、大隈重信の幕下として立憲改進党を結成。10月、東京専門学校(現、早稲田大学)を創立。
  • 1885年(明治18年): 主著『国憲汎論』の著述を完了。

 

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