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青山 良彦(あおやま よしひこ、1943年12月7日 - )は、東京都出身の俳優。
東京都千代田区神田須田町出身。学習院初等科、中等科、高等科第2学年終了後の1962年に大映演技研究所に16期として入り、大映からニューフェイスとしてデビュー。1964年、TBSのドラマ『父子鷹』(国際放映制作)に出演した後、同年『十七才は一度だけ』より大映にて本格デビュー。その後大映を経て、プランニング・メイに所属。
なお、近衞?子(?子内親王)、久邇朝宏(久邇宮)学習院初等科時代の同級生。
『泥棒番付』(1966年)で勝新太郎と共演して以来、2年間ほど半ば押しかけのように、付き人のような感じで勝に付き、以後勝のことを「オヤジ」と呼ぶほどの濃い付き合いが続いていたという。その後大川橋蔵にも師事し、橋蔵や高橋英樹それぞれの主演の舞台にレギュラー出演もしていた。
日本舞踊における名取りは花柳 嶽(はなやぎ がく)。父親は人間国宝の二代目花柳壽楽、兄は二代目花柳錦之輔、舞踊の花柳貴彦は長男にあたる。また、明治座アカデミーにてトータルアドバイザー・講師として指導もしている。