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中村雅俊

中村雅俊



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Wikipedia

中村 雅俊(なかむら まさとし、1951年2月1日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、司会者、ナレーター。ノースプロダクション所属。2020年までは自身が代表取締役社長を務めていたエム・ジェイ・エンタープライズに所属していた。マリンパル女川の名誉館長も務めていた。妻・五十嵐淳子との間に1男3女がおり、長男は元俳優の中村俊太、三女はタレント・モデルの中村里砂。

宮城県牡鹿郡女川町出身。女川町立女川第一中学校、宮城県石巻高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。身長182cm。

略歴

母親(1922年 - 2016年)は漁師町で酒場を経営。二人の姉がおり、ホステスが住み込みで働いていたことから、幼い頃から女性に囲まれた生活をしていた。中村は「母親が忙しかったから、毎日テーブルに食事代として200円が置かれていたんです。食事代を100円に抑えて、残りの100円を貯金してクリフ・リチャードといった洋楽やザ・スパイダース、ザ・タイガースなど当時、流行していたGS(グループサウンズ)のレコードを買っていましたね」と当時を振り返っている。女川第一中学校卒業後、宮城県石巻高等学校に進学。高校ではバスケットボール部に所属。外交官を夢見て東京外国語大学への進学を希望するも、東北大学を希望する母親と対立。東京外語大は不合格となり、一浪して慶應義塾大学に進学(地方紙に載ったことで母に受け入れられたと話している)。大学時代はESSに所属しており、四大学英語劇大会に参加していた。1973年文学座附属演劇研究所に入所し、大学卒業と同時に文学座に入団。文学座の先輩である松田優作の紹介で岡田晋吉の目に留まり、翌年、日本テレビ系列で放送された『太陽にほえろ!』84話にゲスト出演しデビュー。同局の青春ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢され人気を獲得し、自らが歌う挿入歌『ふれあい』が100万枚を超えるセールスを記録した。実は松田が中村を紹介したのは、村野武範が松田を岡田に紹介した時同様に、麻雀に負けた時の約束だった。

一躍その名を全国に轟かせ、以降は俳優としてテレビドラマ(主に青春ドラマ)や映画、ミュージカル、CMへの出演も行う一方で、歌手としての活動も継続して行っており、デビューから毎年コンサートツアーを敢行している。1974年に自身のヒット曲をモチーフに制作された映画『ふれあい』で映画デビュー。ドラマ『俺たちの勲章』、映画『凍河』で共演した五十嵐淳子と1977年2月1日に結婚し、同年7月に長男の俊太が誕生。結婚に関しては「デビューして間もなかったから、マネージャーや母親など周囲には猛反対されましたね。週刊誌の担当記者にも“仕事がなくなるぞ”と忠告されたし、当時1万人いたファンクラブ会員も一気に1800人まで減りました(笑)。当時は、結婚するだけで批判を受ける時代。“裏切り者雅俊”と報じたスポーツ紙は今でも持っています」と後に語っている。俳優活動はその後も順調で、映画では明朗な持ち味を買われて特に松竹での主演を多くつとめる。喜劇の名手と言われた前田陽一監督とは3回コンビを組んだ。

1985年に文学座を退団し、その後は俳優・歌手活動のみならずテレビ番組やラジオ番組の司会進行役を務めるなどマルチな才能を発揮している。

保険会社等が毎年発表する「理想の夫像・夫婦像」と題するアンケートでは常に上位にランクインし、幅広い層から支持を集めていることも証明される。年齢を重ねるに連れ理想の父親、祖父ランキングの上位にランクインすることも増えている。

パーソナリティを務めたTBSラジオ『中村雅俊マイ・ホームページ』は、2009年4月3日の最終回までに12年半に亘り放送された。

1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代と5年代の長きにわたり、映画と連続テレビドラマの両方で主役を演じた作品が製作もしくは配給されている(ただし、2014年に上映された映画『ふうけもん』は製作が 2008年)。なお2020年代も、映画とテレビドラマで主人公を取り巻く重要な役回りの登場人物を演じるなど、年齢を重ねながらも活躍の幅を広げている。

2009年4月4日、東京都杉並区の路上で乾燥大麻を所持していたとして長男の中村俊太が警視庁高井戸警察署に大麻取締法違反の現行犯で逮捕された。翌4月5日、父親である中村が記者会見を開き、自身が社長を務める所属事務所から俊太を解雇、芸能界から引退させると発表した。その後、長男の中村俊太は反省している点を考慮され、起訴猶予処分となり釈放された。

東日本大震災で歌への思いも変化しており、「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います」と2017年のインタビューで述べている。

2021年7月1日に、これまで配信されていなかったオリジナル・アルバム3作、ライブ・アルバム4作の合計7作の音楽配信が同日から新たに開始され、2021年7月時点で発表済の中村のアルバム全34作が全て配信されることになった。

エピソード

  • 文学座での下積みを殆ど経験せず、テレビ俳優として急激に知られるようになったため、文学座のベテラン座員の中には中村が文学座の座員であることを知らない者が多かった。入団して数年後に、幹部である杉村春子に挨拶したところ「あなた文学座だったの?!」と驚かれたというエピソードがある。
  • 大学時代から俳優として売れるまで工事現場、出前持ち、家庭教師、清掃、ホットドッグ店店員、デパートの屋上にあるビアガーデンのボーイ、ベルトコンベアに荷物を載せる力仕事、銀座三越での包装、茨城県土浦市では市役所でコピー取り等のアルバイトをしながら家賃1万円のアパートに住み、食事代節約のため友人宅で夕食を御馳走になっていた。その一方で、大学時代の4年間はサークル仲間との付き合いを優先し、毎夜のように酒を酌み交わしていたため、節約した生活費のほとんどが飲み代に消えた。無論貯金もできずにいたという。
  • 『ふれあい』よりも前に製作された“幻のデビュー曲”が存在する。1973年に製作された『別れの劇』というタイトルの曲がそれだったが、各レコード会社への売り込みが全て不調に終わったことでボツになった。この曲は、作詞・作曲を手掛けたみなみらんぼう自ら、タイトルを『ウイスキーの小瓶』に変えて歌い、自らのデビュー曲として発売した。その後も中村はよく、この『ウイスキーの小瓶』を 田中健ら人前で「これが僕の幻のデビュー曲です」と言って歌ったことがあった。
  • 『われら青春!』の主役は松田優作で内定していたが、萩原健一の降板に伴って松田が『太陽にほえろ!』に出演することになったため主役の座が空き、1期先輩である松田と文学座のマネージャーが、両番組プロデューサーの岡田晋吉に中村を推薦したことにより、急遽出演が決まった。

 

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