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芳本美代子

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Wikipedia

芳本 美代子(よしもと みよこ、1969年〈昭和44年〉3月18日 - ) は、日本の女優、歌手。大学教授。愛称はみっちょん。血液型はB型。身長158cm。所属事務所はブリスクコーポレーション(マネージメント業務)、歌手活動当時の所属レコード会社はテイチク。

山口県宇部市出身。明治大学付属中野高校定時制卒業。

略歴

1969年3月18日、山口県小野田市(現・山陽小野田市)の病院で三姉妹の次女として誕生する。小学2年生時まで山口県宇部市で育ち、小学3年生から父の転勤により広島市己斐に移る。小学5年生途中時に宇部市に戻る。小学生時代は石野真子のファンで、石野真子のような歌手になりたいと思っていた。小学3年生の時、チェリッシュが司会の『全日本選抜ちびっこものまね歌合戦!』に出場し、広島地区で優勝して初めて東京に訪れた。それで子供ながらに地元で有名になり、これが「芸能界」を意識した切っ掛けであり、同時に本人はこの時を芸能界デビューと見做している。『ちびっこものまね』に出場して以降、それまで男児のように育てられていた芳本は一変して、綺麗に着飾って広島市八丁堀の音楽学院に毎週連れて行かれるようになった。芳本は「ああ、こういう仕事をすると、良くしてもらえるんだ!」と喜んだ。中学時代はバスケット部に所属。中学3年在学中の1983年、KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わる。しかし、テレビ放送を見たテイチクレコードのスタッフからスカウトされ、山口から福岡に通う形で歌のレッスンを始める。

1984年3月に大手芸能事務所の芸映がマネジメントを引き受け、同年8月に上京。当初の3ヶ月は寮にいたが、その後は信濃町のソニー・ミュージックスタジオの裏で一人暮らししていた。なお、デビュー前にニッポン放送のラジオ番組『前略一世風靡セピア』の中で「美代子のハーピット占い」という機械を使ってリスナーの相性占いをするというコーナーを担当していた。

1985年3月21日に同じ所属事務所の先輩女性アイドル・石川秀美の妹分として、シングル曲「白いバスケット・シューズ」でアイドル歌手としてデビューを果たす。同期デビューに、本田美奈子、松本典子、森川美穂、中山美穂、南野陽子、浅香唯、斉藤由貴、大西結花など、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。翌1986年に人気音楽番組『ザ・ベストテン』に「青い靴」と「Auroraの少女」の計2曲がランキング入りした。

一方、この頃から飾らない言動や明るくてひょうきんな素顔が知られ始め、バラエティ番組の常連タレントとなっていく。それを買われて、1987年から一年間、NHKの若者向け音楽番組『ヤングスタジオ101』に月替わりアシスタントとしてレギュラー出演。並行して歌手活動も地道に続け、CHAGE and ASKAに依頼した2枚のシングルやサザンオールスターズのカバーなどの作品も発売している。

1990年、ミュージカル『阿国』に出演し、第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞を受賞する。これを契機に芸能活動の主体を歌からテレビドラマや舞台に切り替え、数多くの作品に出演する。以来中堅女優としてテレビドラマや舞台などで活躍している。

私生活では1996年、俳優の金山一彦と結婚。その後金山の女性問題(河合美智子との不倫)が元で一時別居状態になるも復縁し、2001年3月19日、第一子となる女児を出産したものの2013年7月に離婚。2016年7月、松井哲也と再婚。

2017年1月末日で、デビュー以来30年以上所属した芸映を退社して独立する。

2009年、劇団アクターズ・マップの旗揚げ舞台公演「宇宙旅館」にて初演出も手がける。

2018年7月26日テレビ朝日『スマートフォンデュ』にて約28年ぶりに歌番組に出演した。

2023年春より大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科舞台芸術コース教授に就任。

エピソード


 

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