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野村 万作(のむらまんさく)は狂言方和泉流野村万蔵家の名跡。元は六世野村万蔵の本名。
二世 野村 万作( のむらまんさく、本名・野村 二朗(のむら じろう)、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、狂言方和泉流能楽師。
「万作の会」主宰。狂言方和泉流野村万蔵家の人物。
文化功労者、日本芸術院会員、人間国宝、練馬区名誉区民。
野村万蔵家六代当主・六世野村万蔵の次男として生まれる。1934年、3歳で初舞台を踏み、1950年に父の本名である「万作」を襲名(兄・太良(萬)の四世万之丞襲名と同時)。
年子の兄・太良(野村萬)と共に戦後の伝統芸能不遇の時代から狂言の普及に努め、広い支持を集めた。また、六世万蔵の本名に過ぎなかった「万作」の舞台名を一代で築きあげた。
以後芸術祭大賞、日本芸術院賞、紀伊國屋演劇賞、坪内逍遥大賞など受賞多数。1990年(平成2年)には紫綬褒章受章。2007年には父の六世万蔵、兄・萬(七世万蔵)に続いて人間国宝に各個認定されている。2023年には兄・萬(七世万蔵)に続き、文化勲章を受章した。
父の六世万蔵の死後、兄・萬(七世万蔵)と万作で名跡を分割相続することとなった。
その後、当主名の「野村万蔵」の名跡は長男である兄・萬(太良)に引き継がれた。兄・萬(七世万蔵)の後は太良の長男・五世万之丞(八世万蔵)が「野村万蔵」の名跡を引き継ぐ予定であったが、五世万之丞(八世万蔵)が父の萬(七世万蔵)に先立ち死去した。これを受け、萬(七世万蔵)の次男・良介(九世万蔵)が亡き兄に代わり、「野村万蔵」の名跡を襲名し、今日にいたる。
また、万蔵家の次期当主が名乗る「野村万之丞」の名跡は、萬の長男・五世万之丞(八世万蔵)が襲名した。五世万之丞(八世万蔵)の死後は萬の孫(八世万蔵の甥)・虎之介が六世として相続している。
そして、次男である二朗(万作)は父の本名・「万作」と祖父の隠居名・「萬斎」を引き継ぐこととなった。当初は二朗(万作)が「萬斎」を襲名する予定であったが、二朗(万作)は尊敬する師父・六世万蔵の本名である「万作」という名前に愛着があったため、自身では「萬斎」を襲名する事はしなかった。そして、息子・武司に「萬斎」を襲名(相続)させた。