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アラビアンナイト



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Wikipedia

ファイル:Sultan Pardons Scheherazade.jpg|thumb|170px|シャフリヤールに物語を話すシェヘラザード(シャハラザード)??????
ファイル:Ferdinand Keller - Scheherazade und Sultan Schariar (1880).jpg|thumb|300px|シェヘラザードとシャフリヤール(フェルディナント・ケラー画・1880年)
『千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、, )は、イスラム世界における説話集
。枠物語の手法で描かれた代表的な物語の一つとしても知られる。
サーサーン朝時代に、ペルシャ・インド・ギリシャなど各地の民話が、中世ペルシャ語(パフラヴィー語)で記され、「ハザール・アフサーナ」(,千の物語)として編纂された。その後、アッバース朝初期の八世紀後半に、新都バグダードがイスラーム帝国の中心都市として整備され始めた同地でアラビア語に翻訳された。アラビア語の題名は「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」(,千一夜)。
1704年に、ルイ14世に仕えていた東洋学者アントワーヌ・ガランが、アラビア語からフランス語に翻訳して「千一夜」()第一巻を出版した。ガランの翻訳と出版をきっかけにヨーロッパ中に「千一夜」ブームが起きた。1706年に、英語版が「アラビアンナイトエンターテイメント」()と名付けられて出版された。それ以降、世界中で翻訳され広まることとなった。日本では「千一夜物語」あるいは「アラビアンナイト」と呼ばれる。
現在では、ムフシン・マフディー(:en:Muhsin Mahdi|Muhsin Mahdi 1926年?2007年)による詳細な研究とこれによるアントワーヌ・ガラン|ガラン写本の校訂版(1984年)が、原型を保った最良のものと評価されている。

名称
はラテン文字化で もしくは (『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』)、 はラテン文字化で  となる。アラビア語名の『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』は、が「千」、が「夜」の意味で、が接続詞「と」であるから、一見すると「千夜と一夜」となる。ただしアラビア語の数の数え方を考慮すると、訳としてはむしろ「千一夜」の方が適切であるが、日本では「千夜一夜物語」の名称が普及している。
「千一夜」(または「千夜」)というのは、数が多いということから付けられた題名であって、その原型となる写本では、ずっと少ない夜数の物語であった(後述)。
通称の「アラビアン・ナイト」の訳は、この物語が初めてイギリスに紹介されたときの題名が であったこと、また明治初期に本作がアラビア物語などとして翻訳されたことに由来している(『暴夜物語』(1875年)、『全世界一大貴書(アラビアンナイト)』(1883年)など)。

内容
ファイル:John Frederick Lewis 004.jpg|thumb|170px|ドゥンヤザード姫
妻の不貞を見て女性不信となったシャフリアール王が、国の若い女性と一夜を過ごしては殺していたのを止めさせるため、大臣の娘シェヘラザード(シャハラザード、)が自ら王の元に嫁ぐ。シェヘラザードは毎夜、王に興味深い物語を語る。王は続きの話を聞きたいがために二百数十夜にわたってシェヘラザードを生かし続け、ついに殺すのを止めさせるという物語が主軸(一番外側の枠物語)となっている(また、姉のシェヘラザードの傍らに、妹のもいる)。話が佳境に入った所で「続きはまた明日」とシェヘラザードが打ち切るため、王は次の話が聞きたくてシェヘラザードを殺すのを思いとどまり、それが二百数十夜続いた。
説話は、冒険商人たちをモデルにした架空の人物から、アッバース朝のカリフであるハールーン・アッ=ラシードや、その妃のズバイダのような実在の人物までが登場し、多彩な物語を繰り広げる。説話は様々な地域に起源をもち、中世のイスラム世界が生き生きと描き出されている。

実在した登場人物 * ハールーン・アッ=ラシード * ズバイダ * ジャアファル|ジャアファル・アル・バルマキー * アミーン|アル・アミーン * アブー・ヌワース
本来の夜数と物語数
画像:The Valley of Diamonds by Maxfield Parrish.jpg|thumb|ダイアモンドの谷のシンドバッド

 

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