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井上ひさし



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井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月17日 - 2010年4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者、日本藝術院会員。本名は井上 廈(いのうえ ひさし)。1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)<ref group="†">西舘代志子と結婚していた当時は、西舘の実家である「内山」姓が本名であった。これは結婚に際して、それまでの転居の間に本籍地が遠くなり取り寄せが手間になったことから、好子の実家に婿入りする形にすれば手続きが簡便になるという理由であったと著書『ブラウン監獄の四季』に記している。</ref>。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。
日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を造り、運営した。(後述)
先妻は西舘代志子。後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の井上麻矢|石川麻矢。

来歴

幼少時代
1934年(昭和9年)11月17日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町 (山形県)|小松町中小松(現・川西町 (山形県)|川西町)に生まれる。マスが病院の下働きをしていたときに薬剤師助手の修吉と知り合い駆け落ちしたが、井上の籍には入らず、ひさしたち3兄弟は戸籍上は非嫡出子(婚外子)として生まれた。廈(ひさし)という名前は、「H丸傳奇」の舞台となった中国の厦門(アモイ)に由来する。5歳のとき父が脊髄カリエスで死亡。青年共産同盟に加入していた父親は3回検挙歴があり、そのときに受けた拷問の影響で脊髄を悪くしたとも語っていた。母親は夫に替わって薬屋を切り盛りする傍ら、闇米の販売や美容院経営などで3人の子を育てていたが、旅回りの芸人と同居を始める。その義父から虐待を受け、ストレスから円形脱毛症と吃音症になる。その後、義父に有り金を持ち逃げされた。山形では父が残した蔵書を乱読して過ごし、「神童」と言われていた。
母は一関市で飯場を営んでいた義父の居場所を突き止め、会社から義父を追い出して自ら社長の座につき土建業「井上組」を立ち上げたが、経営はうまくいかず会社は程なくして解散。生活苦のため母はカトリック教会|カトリック修道会ラ・サール会の孤児院(現在の児童養護施設)「ラ・サール・ホーム|光が丘天使園」(宮城県仙台市)にひさしを預ける。そこではカナダ人修道士たちが児童に対して献身的な態度で接していた。カナダから修道服の修理用に送られた羅紗もまず子供たちの通学服に回し、自分はぼろぼろの修道服に甘んじ毎日額に汗して子供たちに食べさせる野菜などを栽培していた。このような修道士たちの生きかたは入所児童を感動させ、洗礼を受ける児童が続出した。ひさしもその一人となった(洗礼名:マリア・ヨゼフ。上京後、棄教している)。一方、井上の孤児院時代の友人によると、この孤児院は理不尽な体罰といじめが横行する弱肉強食の環境であり、当時の井上は弟と一緒だったが「小さな弟がいじめられて泣いてもかばえないような奴でした」「口がうまくてそれで渡り歩いたようなところがあった」、という。井上在園当時に園長を務めた石井恭一修道士も「ひさしさんはおとなしい子でしたよ。弟さんは小さくて、よくおねしょをしたので、皆にからかわれていました。彼はかばうことはせずに、はやし立てる仲間の方に加わっていました」と証言している。この当時のことは自著『四十一番の少年』にも描かれている。

学生時代から作家になるまで
1950年(昭和25年)、宮城県仙台第一高等学校へ進み孤児院から通学。在校中の思い出を半自伝的小説『青葉繁れる』に記している。在校中は新聞部に所属し、同級生に憲法学者の樋口陽一、1学年上級生には俳優の菅原文太がいた。在学中は投稿や読書、映画、野球に熱中し、成績は低迷。東北大学と東京外国語大学の受験に失敗して早稲田大学の補欠合格と、孤児院の神父の推薦で1953年(昭和28年)、上智大学文学部ドイツ文学科に入学し、代々木上原のラサール修道院から通う<ref group="†">しかし、井上の孤児院時代の友人は「彼の輝かしい経歴というのを奥さんは信じているのですか? 僕は彼が東北大学と東京外語大学の受験に失敗して、早稲田大学と慶応大学に合格を果たしたが、学費が払えずやむなく上智大学に入ったという箇所では笑いましたね。おまけに医師を志して東北大と岩手大の医学部(ママ)を志したって言うのですから、あきれて物も言えません。孤児院がどんな所か、大学受験などどうしてできるんですか。有名になれば何を言ってもいいんですね。たまたま学生の少ない上智大学に推薦してもらっただけでしょう」と語り、井上の自称する経歴に多数の虚構が含まれていると主張している。西舘好子『表裏井上ひさし協奏曲』p.207による。</ref>。しかしドイツ語に興味が持てなかった上、生活費も底をついたため2年間休学して岩手県の国立釜石療養所の事務職員となる。看護婦への憧れから医師を志し、東北大学医学部と岩手医科大学を受験して失敗。1956年(昭和31年)、上智大学外国語学部フランス語科に復学。釜石で働いて貯めた15万円は、赤線に通い詰めて2か月で使い果たした。
在学中から、浅草のストリップティーズ|ストリップ劇場フランス座を中心に台本を書き始める。当時のストリップは1回2時間程度のショーに先駆け1時間程度の小喜劇を出し物としており、殊にフランス座は渥美清を筆頭として谷幹一、関敬六、長門勇と言った後に日本を代表する喜劇役者の活躍の場であった。これらの大学時代の経験は、『モッキンポット師の後始末』に(かなりフィクションが交えられているが)小説化されている。

放送作家・劇作家
1960年(昭和35年)に上智大学を卒業。放送作家として活動し、1961年、広告代理店に勤めていた好子と結婚(婿養子)、1963年から年子で娘を3人もうける。山元護久と共に『ひょっこりひょうたん島』を手がけ、1964年4月から5年間放映される国民的人気番組となる。舞台であるひょうたん島が「流れ着いた国」の一つ、「国民すべてが郵便局員」であるというポストリアの設定が郵政を馬鹿にしていると抗議があり放送が打ち切りになった。のち1970年4月より『ネコジャラ市の11人』が放送され、作風は近代化されたが時代的背景から、『ひょっこりひょうたん島』に比べれば短期間の3年間の放映で終了となった。また、このころ、お茶の間の人気者として台頭しつつあったてんぷくトリオのコント台本を数多く手がけている(これらの作品は「#コント台本|コント台本」として出版されている)。1969年に、『ひょっこりひょうたん島』に声優として出演していた熊倉一雄が主宰する劇団テアトル・エコーに『日本人のへそ』を書き下ろしたのを契機に本格的に戯曲の執筆を始め、小説・随筆等にも活動範囲を広げた。
1983年1月、劇団こまつ座を立ち上げている。第1回は1984年4月5日の『頭痛肩こり樋口一葉』であった。パンフレット「the座」を発行していて、前口上や後口上やシナリオを掲載していた。1986年、好子と離婚。井上、好子ともに記者会見をし、マスコミを賑わせた。この間、1985年12月4日、自宅で睡眠薬を服用して首を吊り、自殺を図ったが未遂に終わっている。翌年、米原ユリと再婚、男児をもうける。
日本ペンクラブ会長、日本文藝家協会理事、日本劇作家協会理事(2004年4月 - )、千葉県市川市文化振興財団理事長(2004年7月 - )、世界平和アピール七人委員会委員、仙台文学館館長(初代)、もりおか啄木・賢治青春館名誉館長(2002年 - )などを歴任した。また多くの文学賞等の選考委員を務めており直木三十五賞、読売文学賞、谷崎潤一郎賞、大佛次郎賞、川端康成文学賞、吉川英治文学賞、岸田國士戯曲賞、講談社エッセイ賞、日本ファンタジーノベル大賞、小説すばる新人賞が挙げられる。2009年より文化学院の特別講師となっていた。以前、姉が文化学院でフランス語を教えていたことと、娘らが文化学院に在籍経験があることから引き受けたという。同年、日本藝術院会員に選ばれた。
1日40本はタバコ|たばこを吸うという喫煙|愛煙家で、「喫煙と肺癌は無関係」という見解をたびたび披露していたが、井上自身が2009年10月に肺癌と診断され、「やはり肺がんとたばこには因果関係があるんだね。さすがに禁煙したよ」と述べていたという。治療中の2010年4月9日に死去した<ref></ref><ref> </ref>。。
沖縄戦を題材にした新作戯曲『木の上の軍隊』の上演が2010年7月に予定され、豊竹咲大夫の求めに応じて井原西鶴の作品を元にした文楽の新作台本を2011年に上演する計画もあったが、いずれも執筆に至らなかった。
戒名は「智筆院戯道廈法居士(ちひついんぎどうかほうこじ)」。

 

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