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近藤譲

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Wikipedia

近藤 譲(こんどう じょう、Jo Kondo 1947年10月28日 - )は、日本の現代音楽の作曲家、音楽評論家。東京都出身。

略歴

1947年、東京に生まれる。一切の自作が何もなかったため、最初に長谷川良夫へ、後に南弘明に師事。1972年、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。ロックフェラー三世財団フェローシップにより、1977年から1978年にかけてニューヨークに滞在。1979年、カナダ政府の招きにより、ヴィクトリア大学にて講義。東京芸術大学、エリザベト音楽大学、お茶の水女子大学の各所で教鞭をとり、川島素晴やペーター・ガーンほかの弟子を育てた。1986年、イギリス政府フェローシップによりロンドンに滞在。ケルン大学の音楽学研究室で故シュトックハウゼンに代わって現代音楽の講義の招待を受ける。1987年、アメリカ合衆国コネチカット州、ハートフォード大学音楽学部にて、レジデントアーティスト。『音楽の零度――ジョン・ケージの世界』(朝日出版社、1980年 ISBN 4255800480)などの翻訳もこなし、アメリカの学術雑誌『コンテンポラリー・ミュージック・レヴュー』のアシスタント編集を務める。ドナウエッシンゲン音楽祭作曲夏期講習会においても講義を行う。2000年、ダーティントン国際夏期音楽学校の作曲クラスを受け持ちガウデアムス国際作曲賞の審査。2005年、第3回ソウル国際作曲コンクールの審査員として韓国に渡り、自作を語るセミナーを行った。お茶の水女子大学では一時期、副学長へ選出。2013年3月17日、お茶の水女子大学で最終講義とピアノコンサートが行われた。現在は昭和音楽大学で教鞭をとる。

これまでに160曲以上の作品を出版しており、編成はソロからオーケストラ、合唱、邦楽、舞台作品に渡る。その多くは、日本、北アメリカ、ヨーロッパにて演奏されており、録音はhat(now)ART、ALM、フォンテック、ドイツ・グラモフォン、Wergoなどのレーベルから出版されている。ヴィッテン現代音楽祭などをはじめとする多くの国際音楽祭に出品し、ロンドン・シンフォニエッタ、フィルハーモニア管弦楽団、NHK交響楽団、アルディッティ弦楽四重奏団など様々な団体に演奏され、アイヴズ・アンサンブル、ヌイウ・アンサンブル、尾高忠明、高橋アキなどから作品の委嘱を受けている。また、アンサンブル・ムジカ・プラクティカを組織し、多くの現代音楽を紹介

した。NHK-FM では1980年代から長年海外現代音楽特集の解説を務めている。ポール・ズコフスキーとは交流も深く、アメリカからリリースされているCD(cp2 recordings)はズコフスキーの監修 によるものである。近藤はこの世代の中では最も積極的に音盤の製作を重視している。現在はアンサンブル・ムジカ・プラクティカの後継となったアンサンブル・ノマド、打楽器クインテットネクサス、アンサンブル・ボワ、アンサンブル・ラール・ポール・ラール、東京現音計画、ヴォクスマーナほかの団体の委嘱を受けて作曲している。

1979年以降、近藤の音楽に対する美学や作曲の構想に基づいた著作が出版され続けている。『線の音楽』(朝日出版社 エピステーメー叢書、1979年)は前衛とポスト前衛を分け隔てた名著 とされ、同名のレコードがすでに発売されていたことも含めて話題となり、高橋悠治によるアルバム全体の評論が残された。「『書くこと』の衰退」は 2000年に大学入試センター試験本試験国語 I・II 現代文の出典にも用いられた。エピステーメー叢書発表以前の自作は、未出版作品リスト行きになったと考えられている。著作はもっぱら対談や今日の音楽文化への提言といったものがほとんどで、自作による初演時のプログラムノートも全て残されている。彼は「地峡」を作曲した当時《聞き手が所望しないにもかかわらず、演奏されるアンコールのために作曲》という文章 を残した。書かれたものだけではなく、シンポジウムやインタビューやNHK-FMの海外現代音楽特集で話されたものも数多く、ヨーク大学音楽出版社のサイトには60歳記念のインタビューが掲載されている。2014年には「線の音楽」がアルテスパブリッシングから復刊され、同名のアルバムもCD復刻された。

しかしその後、線の音楽の方法論によらない極めて高度な対位法を用いた作品」 が作曲されたという指摘や、「90年代以降の作品では、かなり複雑な音響が作られ作品ごとに従来聞かれなかった新しい質」が増えたという指摘 などがあっても、近藤は「言語で考えるのではない或る一つ目の音が頭に浮かぶのを待」ち、「二つ目の音を置くときに、何故その音が良いと思うのか、適切だと思うのか?」を『線の音楽』以後の全生涯にわたって主張している。その後は「ともかく、私は二つ目の音を思いついたら今度は一つ目と二つ目の音を聴いて三つ目の音を、三つ目の音を思いついたら一つ目、二つ目、三つ目を聴いて四つ目の音を、、、」といった手続きで作品全体が作曲される。「ここで終わりかなと思ったところで終わる。そこには、さしたる意味はない」 と、終止すら事前には予期されていない。

受賞歴

  • 1969年 - 第4回日独現代音楽作曲コンクール第3位 (東京)
  • 1971年 - 音楽之友社創立30周年記念作曲賞佳作 (東京)
  • 1982年 - <ミュージック・トゥデイ>第10回記念国際作曲賞ファイナリスト (東京)
  • 1991年 - 尾高賞 (東京)
  • 1995年 - ISCM世界音楽の日々入選 (ドイツ・ルール地方)
  • 2001年 - ISCM世界音楽の日々入選 (国際審査員として, 横浜)
  • 2002年 - ISCM世界音楽の日々入選 (香港)
  • 2005年 - 中島健蔵音楽賞 (東京)

 

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