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君塚良一

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Wikipedia

君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督、放送作家。

東京都港区出身。日本大学藝術学部卒業。

妻は、女性アイドルグループ・トライアングルのメンバーで元タレントの藤本あき(加藤明恵)。 

来歴・人物

学生時代は映画監督を志していたが東宝撮影所でのアルバイト経験で映画界の不況を目の当たりにして、次第に映画界への興味を失う。倉本聰、山田太一、向田邦子などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。大学の教授の紹介で、卒業後は萩本欽一に弟子入りし、萩本お抱えの放送作家集団である「パジャマ党」に加入。『欽ちゃんの週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『ライオンのごきげんよう』など、バラエティ番組に構成作家として携わる。

1984年頃から『心はロンリー気持ちは「…」』シリーズや『世にも奇妙な物語』など、テレビドラマ脚本の仕事が増える。1992年、連続ドラマ『ずっとあなたが好きだった』が大ヒット。「冬彦さん現象」と言われるブームを起こした。以後、現在に至るまでテレビを中心に『踊る大捜査線』など数多くのヒット作を手掛けている。

かねてから映画監督への志向も強かったが、2004年9月20日に放映された『世にも奇妙な物語 秋の特別編』の1篇「あけてくれ」(松山ひろし原作)でテレビドラマ初演出。2005年2月に公開された『MAKOTO』(郷田マモラ原作)にて映画を初監督した。

2008年、『誰も守ってくれない』により第32回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門最優秀脚本賞を受賞。

現在はドラマ脚本家としての活動がメインであるが、『全日本仮装大賞』に引き続き作家として参加するなど放送作家としての仕事も継続して行っている。

エピソード

  • 高校時代からの映画フリークで、年間500本以上鑑賞したこともあるという。映画誌「キネマ旬報」で古今東西の映画を脚本から読み解くコラムを連載したこともあり、2002年に『脚本(シナリオ)通りにはいかない!』(キネマ旬報社)としてまとめた。
  • 高校生の頃に出会った映画『わらの犬』には強烈な印象を受け、自身の「原点」であるという。また学生時代に鑑賞した『野獣狩り』の「ひたすら話を転がしていく」作風にショックを感じ、『踊る大捜査線』劇場版を制作するにあたって強く意識した。
  • 学生時代に月刊誌「ドラマ」(映人社)における『太陽にほえろ!』のプロット募集に応募し、合格したことがある。そのプロットをもとに2本のシナリオを書いたが、メインライターの小川英に9割方直された。放送では名前がクレジットされたが、台詞がほとんど残っていないほど書き直してもらったので、実感としては「ホンを書いたという感じはしない」という。だが小川の書いた脚本は、君塚が書きたかった事の核は残しつつ、エンターテインメントとして面白く出来上がっていて衝撃を受けたと回想する。
  • 大学時代には作家の家田荘子、日本テレビの五味一男らとともに映画製作集団で『虚飾の神話』『暗闇の剥製』などの前衛映画を作っていた。
  • 萩本欽一に紹介されたのは、萩本が日大の教授に成績が1位と2位の学生を紹介してくれと頼んでいたゆえであるらしい。ちなみに萩本曰く「君塚は2番目のほう」。当初シリアスなドラマ脚本を志向していた君塚はバラエティ番組の台本を手がけることに消極的で、萩本にも自分はドラマ脚本志望であることを告白したが、そのときに萩本から「テレビっていうのはジャンルで作ってないの。うちは、お笑いとかドラマとかじゃなく、テレビを作ってるんだよ。そのうちドラマと笑いがくっついた番組がいっぱいできるような時代が来るから」「ドラマを書くためには、いろいろなことを経験しておけ」と言われた。また「いい感性の20代のうちに映画を見たり、旅行したり、遊んだりして吸収しておけ、30になったら何も感じなくなるから」と萩本に言われたことが印象に残っているという。
  • 1990年代前半に落合正幸監督とのコンビで『世にも奇妙な物語』を多数手がけた。落合とは「王道じゃなくて、ひねったやつをやろう」という合意があり「自主映画を作るようにやってた」と後に回想している。

 

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