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木村昴

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木村 昴(きむら すばる、1990年6月29日 - )は、日本の声優、タレント、ラッパー、俳優、司会者、ナレーター。

ドイツ出身。アトミックモンキー所属。天才劇団バカバッカ主宰。

経歴

1990年、ドイツ・ライプツィヒにて、ドイツ人でオペラ歌手の父と日本人でバロック音楽のソリストで声楽家の母との間に生まれる。7歳までをドイツで過ごす。

7歳で日本へ移住した時には日本語が全く喋れなかったが、普通に地元の公立の小学校に入学。教師、同級生とコミュニケーションを取りながら日本語を覚えていったという。そんな中で母が「習いごとをしたらどうか」と言い、両親とも声楽家ということもあり、「それに近いことはしたいな」と思った。両親は木村に楽器をやらせたかったようで、5歳の時からバイオリンもしていたという。しかし両親がそういうことをしていることから、クラシックが苦手で、両親もクラシックのことになると厳しかったという。

小さい頃からお調子者だったが、母によるとちゃんと言うことも聞くなど、素直で手のかからない子供だったという。友人、特に女子を楽しませるなどサービス精神が旺盛だったようであり、母が家の庭で長らく育てていたサクランボの木に初めての実が付いた際、そのたった1個の実を女子に声をかけて食べさせたという。母曰く反抗期も無かったようであり、木村本人は「母は厳しかったが、尊敬していたため、反抗することは無かった」と語っている。基本的にテレビ、漫画の無い家だったため、子供の頃はアニメもほぼ観たことがなかったといい、声優にも全く興味が無かった。

日本語を覚えていく中で母は「せっかくなら楽しみながらできれば」と考え、家の近所の劇団日本児童へ所属する。「やりたいこと何かないかな?」と思っていた時、新聞に児童劇団の募集の広告が入っており、それを見て母も「いいんじゃないの」と言ったことから、単純に面白そうと思って入団オーディションを受けたのが演技のきっかけである。

芝居のレッスンに熱中して、劇団の発表会のミュージカルのアンサンブルをやったりしてしていた。前述の通り、お調子者で目立ちたがり屋の性格で、人前に立つことが好きだったという。人前に立って何かを表現して、「見た人に何かしら感じ取ってもらいたい」「ジャングルクルーズのお兄さんになりたい、ミュージカル俳優になりたい、ラッパーになりたい」という夢のようなものを持っていたという。

特に興味が強かったのはミュージカル俳優だったが、両親がオペラ歌手だったため「オペラもいいな」と思っており、両親もやってほしかったのかレッスンをさせれたという。しかし同じ道をたどると「両親を超えられない」と思っていたため、「超えるためには別の道を」と考えるようになった。そこで「もうオペラはやりたくない!」のような両親に反発する意味もあり「ミュージカルで行こう」と思っていたという。

2002年ミュージカル・『アニー』でタップダンサーとして出演し、キャリアをスタートさせた。

小学生のころに、ものまね番組『まねキン』(日本テレビ)に羽賀研二に似ている小学生として出演。そのことがきっかけで『ものまねバトル』(日本テレビ)で「ミニミニ羽賀研二」という名前で何度か出演した。

2005年4月15日よりテレビ朝日系テレビアニメ『ドラえもん』にて、たてかべ和也に代わりジャイアンこと剛田武の声を担当し、声優デビュー。当時も児童劇団に所属していたが、声優経験は無かった。『おはスタ』のおはキッズとして出演していたため、その司会者である山寺宏一は知っていたが、声優だったことは無知だったという。オーディションを受けた理由は「クラスの人気者になりたかったから」とのこと。ミュージカル俳優をするにあたり、色々なことを経験する人物が得られることが多いと考えており、中学2年の時に『ドラえもん』のキャスト一新を聞いて、「そのオーディションがいいエネルギーになる」と思っていたという。当時所属していた児童劇団のマネージャーに「オーディションを受けたいんですけど、受ける方法はないですか?」と相談して、受けさせてくれたという。当時は受かるとは思っておらず、ダメもとの記念受験のつもりだったという。ジャイアン役を選んだ理由については、記念受験ぐらいの心持ちとはいえ、ドラえもんは「ビッグネーム過ぎるな」とビビってしまい、しずかものび太もスネ夫も、自身の性格とだいぶ違うため、「少し入り込めないなぁ」と考えて、割とポンポンと「ジャイアンしかないな」と決めたという。『ドラえもん』自体は知っており、「ドラえもんのオーディションを受けた」と割とクラスでも「ヒーローになれるでしょ?」という気持ちもあり、クラスを盛り上げたい思いだけで受けたという。それまで子役のオーディションしか受けたことがなかったため、「まわりも子役ばかりだろう」と考えていたが、スタジオに着くとプロの声優がおり、そのオーディションには後の先生役の高木渉まで並んでおり、「やばい、とんでもないところに来てしまった……」と場違いな雰囲気を感じていたという。

審査員は、声だけで判断をしていたそうで、会場に来るまで年齢、経歴を伏せられており、順番が来て「14歳です」と言っていた途端、アニメのように「えー!」とリアクションがあったという。グループオーディションではスタッフから、「オリジナルのジャイアンを作ってきてください。先代の物真似はしないでください」というお題が用意され、どう声を演じていたら良いか分からなかった。他参加者が以前のジャイアンの声に影響されてしまったのを見て「自分のジャイアン、ブレるブレる!」と焦ってしまい、心が折れてしまいそうだったという。しかし「このまま帰るのなんか悔しい」という思いを胸にがむしゃらにオーディションへ挑んだ結果、ジャイアン役を獲得したという。後で聞いたところ「あんな人初めて見た(笑)。でも、ジャイアンに見えたんだよね」といってくれたという。『ドラえもん』の新声優陣のことも無知で、合格発表の時に新キャストが集められたが、「ここでも子役の先入観があって。自分と同じで他のみんなも今日デビューで、初めて声優をやる人たちでしょう」と勝手に思っていたという。「スタートラインがみんな一緒だったら、一番若い俺がめっちゃ有利じゃん」と思い、「俺めっちゃすごいじゃんと。俺、デビュー早!」のように、少し一瞬、調子に乗っていたという。その時、「大人に舐められちゃいけない」ということで、スネ夫役の関智一のところに行き、「お名前何でしたっけ? 関さん、覚えました。関さん、男同士頑張りましょう!」と握手を求めたという。

家に帰り、関のことを調べたところ、以前から声優として活動していたことに驚いたという。次に会っていた時に、「先日は大変失礼なことを申し上げました」と謝り、その時に、「この人に一生ついていかなきゃ!」と思っていたという。ジャイアン役は「大人になってから周囲に自慢しよう」と思っていたが、3月にジャイアン役が公になってからは同級生や先輩後輩から「ジャイアン(先輩)」と呼ばれるようになり、「剛田武(=ジャイアン)として生きていく」ことを覚悟する。高校卒業までの6年間はジャイアンしか演じていなかったという。高校卒業して、色々な作品に挑戦しようと思っていたが、ジャイアン以外の声が出せず、オーディションで合格した作品でも、ジャイアンになってしまったという。

先代のジャイアン役のたてかべは「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたが、この当時木村はまだ中学生だったためがっかりしたものの、「あと5年は長生きして一緒に飲みたい」と語った。そして木村が成人して5年近くの月日が流れた2014年、一緒に飲みに行くことが実現した。しかし2人で飲み交わす機会はこれが最初で最後となり、たてかべは2015年6月に死去。その際、木村はツイッターにたてかべを追悼するメッセージを投稿した。

関智一のことを「師匠」と語っており、慕っている。高校卒業を間近に控えていたころ、舞台の芝居に興味を持った木村は、関が座長を務める劇団ヘロヘロQカムパニーに誘ってもらうため「365日芝居のことを考えていきたい。一端の声優になりたいんですが、どうしたらいいんですか?」と関に相談したところ、「それなら劇団を作ったら?」と助言を受ける。木村としては自分の師匠である関なら快く誘ってくれると思っていただけに予想外な返事で呆気に取られたが、師匠の言葉なら間違いないと高校卒業直後の2009年に木村自ら座長となって劇団を旗揚げし、座長の師匠である関から「天才劇団バカバッカ」と命名された。一方、木村から相談を持ち掛けられた当の関本人は「ボケのつもり」で上記の返事をしたとのことで、「無理ですよ〜」「だよね〜」という感じのノリで終わると思っていたところ、即座に木村が劇団を立ち上げるとは思っていなかったと笑いながら語っている。

東京都立晴海総合高等学校卒業。

たてかべからジャイアン役を引き継いでからはジャイアン役に専念していたが、2011年のアニメ『輪るピングドラム』に高倉冠葉役で出演し、声優としての転機となる。劇団に所属するべきではない年齢になっていたころに同作品のオーディションの知らせを受ける。オーディションでは監督の幾原邦彦に個別に呼び出され「ヘタクソ」と評されるも良い声をしていると褒められ、兄役ができるか聞かれたためできると返答し合格となる。何を言ってもジャイアンになってしまう状況を脱するため練習を続け、作品が終了してからようやくジャイアン以外を演じられるようになったという。なおジャイアンと高倉冠葉は兄の役でもあり、木村自身も「お兄ちゃん役は得意」と自負することもある。


 

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