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柳家喬太郎



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柳家 喬太郎(やなぎや きょうたろう、1963年〈昭和38年〉11月30日 - )は、東京都世田谷区出身の落語家。社団法人落語協会所属。本名は小原 正也(こはら まさや)。日本大学商学部経営学科卒業。出囃子 (落語)|出囃子は「まかしょ」。紋は「丸に三つ柏」。通称「キョンキョン」(自称)。

人物・略歴
小学校3年生まで世田谷区の大蔵 (世田谷区)|大蔵団地で育ち、のち横浜市に移った<ref group="注釈">自身の語るところによれば、住んでいた団地は日大商学部にほど近く、少年時代は日大でも安保闘争があって学内は騒然としており「こんな大学には通いたくない」と思っていたそうである。#CD|CD『柳家喬太郎のピロウトーク』(2013)「祖師谷大蔵」</ref>。子どものころの愛称は「マーちゃん」であった。少年時代は「ウルトラマン」シリーズや「ゴジラ」などの怪獣映画をこよなく愛し、現在も落語界きってのウルトラマンフリークとして知られる<ref group="注釈">喬太郎は2008年、ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ・ウルトラマンガイア・ウルトラマンメビウスの4ヒーローを紹介するTBSチャンネルオリジナル番組に出演している。</ref><ref group="注釈">2013年12月、「帰ってきたウルトラマン」の魅力を語るWOWOWの15分のミニ番組「君にも見えたかウルトラの星! 帰ってきたウルトラマンの魅力」に「帰マン」主演の団時朗、映画監督の庵野秀明とともに出演した。[http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/PRT201312060120.html 庵野監督も絶賛!「今のテレビドラマでは感じられない、ギュッと詰まった熱量」 団時朗、柳家喬太郎と共に「帰ってきたウルトラマン」を語るミニ番組をWOWOWでオンエア!]("朝日新聞Digital"2013年12月6日)2013年12月22日閲覧</ref>。
落語を好きになったのは中学時代からであった。横浜市港北区の日本大学高等学校・中学校|日本大学高等学校から、子ども時代に住んでいた団地近くの日本大学商学部経営学科へと進学、経商法3学部の落語研究会 (サークル活動)|落語研究会(日本大学経商法落語研究会)に入って「砧家駄楽」を名乗った<ref group="注釈">立川志らくと三遊亭白鳥は日大の同期である。ただし、2人は日本大学芸術学部。</ref>。高校時代から大学では落研に入ろうと心に決めていたが、当時、自分から落研の門を叩く人間は少なかったため、先輩からは大いに驚かれたという<ref group="注釈">日大落研時代を題材にした新作落語として『すみれ荘二〇一号』がある。</ref>。日大落研では度胸をつけるために「ストリート落語」をしたり、失恋して最も傷ついた相手の女性の名を叫ぶなどの荒修行をおこなった。落語づけの毎日で、老人ホームの慰問や成人式の催しで落語を演じ、そのため自分の成人式には出なかったということさえあった。4回生の時には関東大学対抗落語選手権で優勝した。また、大学在学中に本名でフジテレビ「欽ドン!#欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子|欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」に「悪い下宿人」として出演している。
テレビ出演もしていたため、周囲の誰もがそのままプロになると思っていたが、日大卒業後は大手書店(福家書店)に入社した。喬太郎は自身を振り返り、「落語で食べていこうとは思わなかった。こわかったんです。好きだっただけに、畏怖の念があった。それに僕は、普通の人生が送りたかったんです」と述べている。書店員としての生活は、もともと本が好きだっただけに充実していたものの、落語への情熱は冷めやらず、ついに落語家になることを決意して約1年半で退職した。
1989年(平成元年)10月、人情噺で知られる柳家さん喬に入門する<ref group="注釈">人間国宝となった柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さんからは孫弟子にあたる。前座時代の喬太郎(さん坊)はしばしば小さんの地方まわりに同行している。</ref>。新作落語の旗手である三遊亭円丈から強い影響を受けながらも、正統派の落語を学ぶためにさん喬を師匠に選んだといわれている。初高座は1989年12月29日、新宿末広亭にて「道灌 (落語)|道灌」を演じた。
喬太郎は、「夜の慣用句」や「ほんとのこというと」「午後の保健室」などをはじめとする数々の新作落語で知られるが、師匠譲りの古典落語も巧みに演じる。現在では人気落語家の一人に数えられる存在であるが、売れるまでには様々な仕事を経験しており、キャバレー勤めやアダルトアニメの声優もしたことがあるという。
1998年(平成10年)、NHK新人演芸大賞の落語部門で新作落語「午後の保健室」を演じ大賞を受賞し、一躍名を知られることとなった。2000年(平成12年)3月に林家たい平とともに12人抜きで真打に昇進した。同年5月には日本テレビ系「笑点」に出演している。
2003年(平成15年)、春風亭昇太らとともに「SWA (話芸集団)|SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げした。SWAでの背番号は「6」。2009年(平成21年)発行の『今おもしろい落語家ベスト50』(文春MOOK)では第1位に選出された。2013年(平成25年)6月5日、東京お台場のライブハウス"Zepp|Zepp DiverCity"で開催された初の落語会に桃月庵白酒、柳家三三とともに出演、「そば清Q」を演じた<ref group="注釈">毎日新聞社とソニー・ミュージックが企画する落語会「渋谷に福来たる」は例年渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールでおこなっていたが、2013年6月にZepp DiverCity Tokyoでおこなわれた落語会は「渋谷に福来たるSPECIAL Zepp落語 夏一番〜長講三席〜」と題する特別編として開催された。[http://www.oricon.co.jp/news/2027333/full/ 「"Zepp"で初の落語会開催」]</ref>。
落語に関する著作もあり、そこでは自らの落語観も語っている。

師弟関係
柳家さん喬にとっては一番弟子にあたる。喬太郎の弟弟子は柳亭左龍 (6代目)|6代目柳亭左龍、柳家喬之助、柳家喬志郎はじめ10人におよぶが、喬太郎は師のさん喬から弟弟子の稽古をつけろと言われたことがないという。
喬太郎自身は弟子をとっていない。
師匠のさん喬とはしばしば二人会を開いている。さん喬に弟子入りした当初、師匠に「嫌いなものはあるかい?」と聞かれた喬太郎が「納豆がダメです」と答えたところ、翌日「よし、昼メシに買いに行こう」と言われたという。さん喬いわく「これから噺家としてやっていくなら、お客様や先輩方とのお付き合いもある。そんなときに、あれ食えない、これ食えないじゃ、話にならないよ」。また同じ頃、さん喬は喬太郎に「ゼロから(のスタート)じゃない。マイナスからだよ、お前は」と言ったという。大相撲では、学生時代の実績があると、幕下付出というプラス位置からスタートするが、落語では事情が異なり、なまじ大学の落語研究会でやっていたことは「垢のようなもの」であって真摯に落語修行していくうえでは「落とさなければならない」ものであった。
喬太郎がさん喬を尊敬していることは並大抵ではなく、50歳を迎えた喬太郎は、自分が入門した頃のさん喬の年齢を超えていることを踏まえ、「それを考えると『ダメだなオレ、まだこんなんじゃ』という結論にしかならない」と述べている。

活動内容その他
2013年現在、雑誌『週刊文春』の川柳投稿コーナー「川柳のらりくらり」の選者を務めている。関東学院大学の非常勤講師でもある。
活動内容は、本業の落語家のほか、エフエム東京|TOKYO FMの番組(「柳家喬太郎のピロウトーク」)のラジオパーソナリティ|パーソナリティやテレビ東京のアニメーション「ズッコケ三人組#アニメ「それいけ! ズッコケ三人組」|それいけ! ズッコケ三人組」のナレーション、俳優・声優、「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」の司会など多様である<ref group="注釈">「ようこそ芸賓館」は、毎回スタジオに落語家や漫談、漫才、曲芸、奇術など多様なゲストを迎えてかれらの芸能を紹介する番組。[http://www.bs11.jp/entertainment/1679/ BS11 エンターテイメント番組詳細「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」]</ref>。「東京ホテトル音頭」を作詞・作曲し、自ら歌っている。

 

取扱中の公演・チケット情報

公演名
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チケット購入

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<カンフェティ取扱チケット>
1階指定席:3,600円
2階指定席:2,600円
(全席指定・税込)
2016年12月7日 (水)
日本橋公会堂
販売終了

取扱中の公演
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全席指定:4,100円(税込)

2017年1月28日 (土)
よみうりホール

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<カンフェティ取扱チケット>
全席指定:3,500円(税込)
2017年2月22日 (水)
銀座ブロッサム中央会館