大衆演劇の座長、五月洋子の楽屋に一人の青年が訪ねてくる。その青年は、昔泣く泣く捨てたはずの一人息子だと名乗っていた。青年との再会をきっかけに、夢と現の二つの物語が重なり合う――。平淑恵最後の、こまつ座『化粧』がいよいよ開幕する。カンフェティでは、舞台を前に、平淑恵に、一人芝居に挑む心境について聞いた。
――― この『化粧』は再演を重ね、今回で三度目の上演となりますが、同じ役を演じるというのは、どういう心境なのでしょうか?
「それはとてもありがたいことです。一つの役を年月をかけて演じられるということは、その役を違う目で見ることができるし、自分自身を成長させるといいますか、もう一段、高いハードルを超えられるということなので、幸せなことだと思います」
――― 今、稽古中はどんなことを念頭におかれて演じられていますか?
「紆余曲折を経て積み上げてきた表現が、どんどんシンプルにストレートになっていき、なおかつ、芝居の奥行が広がっているような、そういう演出を鵜山仁さんは考えられているのかなと。私もその演出に従って、完成度の高い芝居を作れたらいいなと思っています」
――― 大衆演劇女座長・五月洋子と平さん自身で重なる部分はありますか?
「五月洋子というのは、自分の苦しみも悲しみも、全部お芝居に投げ入れて、そのことで自分のバランスを取りながら全うしている座長です。周りから見ると、悲劇の人に見えるかもしれないけど、この人自身は、舞台の中に自分の人生を投げ入れることで、ある種、解き放たれて開放感を得ているし、至福のときを過ごしているんじゃないかなって。そういう意味では、私も舞台の上で、その役に入り込むことで、似たような感覚を持つことはあります」
――― そう伺うと、この舞台を観ることによってとても浄化されるようなイメージを持ちますね。
「それだけじゃなくて、やっぱり井上さんの戯曲なので、楽しい、明るくて笑える部分も、すっきりとした部分もあるけれど、最後になってみると、本当のところはどうだったんだろうと、男女問わず、胸に響くものがあると思いますし、戯曲としても緻密で隙のない作品だし、ひとつの戯曲の中にいろんな深いテーマがあります」
――― そんな深いテーマの作品をひとりで演じられるというのは、計り知れないことに思えます。
「責任と喜びがあります」
――― ひとり芝居の稽古というのは、ほかの稽古と違うものなのでしょうか。
「一人対演出部という感じで、集中力が勝負です。本当なら、稽古場の向こう側を暗くしておいてもらえないかと思うくらいなんですけど、そうもいかないですよね(笑)。でも、一人芝居は、集中力が途切れた瞬間にあらぬ方向に行ってしまうから、演出部のみなさんが見えている中でも、集中できるようにならないといけないですね。集中力が必要だから、おのずとほかの舞台の稽古よりは、短い中で集中をしてやるということにはなります」
――― 舞台の上では、どのような感覚なのでしょうか? 我に返る瞬間があったりするんですか?
「そこは我に返ってないとダメなんです。自分というものをしっかり持たないといけない。役にのめりこみすぎないようにコントロールしないといけない。自分だけで暴走すると、お客さんもついてこれないと思うんですよ。そうするためにも、集中力と体力がないといけないんです」
――― 最後に、お客様にこの作品のどんなところを観て頂きたいですか?
「五月洋子という女性の一面だけでなく、人間の持つ綺麗な面も汚い面も、いろんな部分が、くるくるとミラーボールのように回転しながら見えてくるようなお芝居です。その上で、五月洋子という女性の哀愁のようなものが、お客さんの心に染みて、ちょっとでも記憶に残ってくれたら、私はこんなにうれしいことはないなと思います。そのためにも自分の魂を公演にささげて、演じていけたらなと思っています」
(取材・文&撮影:西森路代)