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坂 真太郎


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観世十郎元雅による悲劇の名作能『隅田川』を中心に、

四十四回目の今年は『伊勢物語』にまつわる作品を送る

毎年、秋に国立能楽堂で催される能と狂言の鑑賞会。第44回目となる今回は、『伊勢物語』にまつわる能『隅田川』を中心に、狂言『舟渡聟』、林望氏によるお話『「あづま」の風流と「隅田川」』などを送る。この催しで『隅田川』に出演する坂真太郎に話を聞いた。


インタビュー写真

――― 今回、演目に『隅田川』を選んだのはどういう理由があったんでしょうか。

坂「来年の7月が父の13回忌にあたるので、前倒しにはなるんですけれど、今年を追善公演にしようと思いました。『隅田川』は、生き別れになった母と子の話なので、今年5歳になった娘と、親子で演じることで父の追善になればと思ったんです。今回のタイトルが『伊勢物語夢幻』となったのは、能『隅田川』は、『伊勢物語』に取材した作品だからです。また他の演目のテーマもそこから広がっていきました」

――― 坂さんは地元が台東区ということで、『隅田川』には縁があるのではないでしょうか。

坂「能は大和猿楽の流れを汲んでおり、奈良が発祥の地なので、奈良、大阪、京都を舞台にした作品が多いんですね。私の生まれ育った台東区の東側を隅田川が流れているので、この機会に地元ゆかりの『隅田川』を上演したいと思いました」

――― 実際に、演目の中に出てくる土地と縁の深い場所が今でも残っていたりするのでしょうか。

坂「この『隅田川』の中で亡くなった子供の役名は梅若丸と言うんですが、そのお子さんをお祀りしている梅若塚が、墨田区の木母寺というお寺にあるんです。その塚のことは、謡曲の史跡として有名です。一方で、川のこちら側、台東区に、橋場という場所があって、そこには妙亀塚という塚があります。こちらには、『隅田川』に出てくるお母さんをお祀りしているとされます。
 はるばる京都から息子を探して東の果てまでやって来て、息子の墓標と向き合うという悲劇を経験した母親は、そこにとどまって息子の菩提を弔って暮らしていたんです。でもある時、あまりの悲しさに身を投げて亡くなったそうで、その母親の弔いのためにこの塚ができたそうです。残念なことに、こちらの妙亀塚のことは一般的にあまり知られていないんですね。ですから、この機会に妙亀塚にもスポットが当たればいいなと思っています」

――― 『隅田川』は母親と子供のお話で、「狂女物」というカテゴリーに入るそうですが、それはどういうものなのでしょうか。

坂「能の作品は、5つのグループに分類されます。初番目物が神、二番目物が男、三番目物が女で、四番目物が狂、そして五番目物が鬼の話になります。今回上演する『隅田川』は四番目の話です。四番目物の狂女物は、生き別れになった母と子の話が多いんですね。その母子が、最後には神仏の結ぶ縁などによって再会し、「めでたしめでたし」で終わるのが定形ですが、『隅田川』は親子が再会できずに終わる悲劇的な作品です」

――― ほとんどのお話はめでたしめでたしと終わるのに、この作品は悲劇的とのことですが、当時から、悲劇を求める声もあったということでしょうか。

坂「そこはどうなのでしょうね。必ずしも能って全部がハッピーエンドじゃないんですよ。地獄から幽霊が弔ってくれと言って出てくるけど、また元の地獄に戻っていくという苦しい作品も多くあります。『隅田川』は世阿弥の息子の観世元雅の作品です。元雅の作品は、お父さんの世阿弥ともぜんぜん違う作風で、公衆の面前で奇跡が起こるようなタイプの能を書く人です。世阿弥は、『井筒』のような作品に代表されるように、この世のものでない幽霊が現れて、昔をなつかしんで、またもとのところに帰っていく静かな作品を書く事で知られています。それに対して元雅作品には、幽霊物は少ないんですよね。今回の『隅田川』でも、シテ(主人公)である母親は生身の人間で、現在時間で生きている人が主役になっているのが特徴のひとつです」

インタビュー写真

――― 今でいう作家性のようなものが、この当時にもあったということですか。

坂「そうですね。みなさんが一般的に能に対して持っている、静かでゆっくりしていて、女性が主人公で……というイメージって世阿弥が作ったものや、その流れでできたものが多いように思います。世阿弥のお父さんの観阿弥はまた違っていて、『卒都婆小町』のように、100歳近くなった小野小町に男の幽霊が乗り移るような、ややホラー的な作品を書いてますよね。そして、世阿弥の孫世代になると、『船弁慶』や『紅葉狩』のように動きが多い作品が出現し、後に歌舞伎に摂り入れられたりもしています。パトロンである、時の権力者から、「こういうものを見たい」と言われたら答えざるをえなかったのかもしれないですね」

――― 今のように、プロデューサーやスポンサーの要望みたいなものがあったわけですね。話を『隅田川』に戻しますが、息子をなくして物狂いになってしまった母親が船に乗るくだりの船頭とのやり取りなんかは、どこか粋な感じもしますよね。

坂「その場面で、『伊勢物語』の中で在原業平が東下りをしたときに詠んだ『名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』という和歌を母親が引用するんですね。そういう教養も持っているということは、母親は、それなりの家柄の人なのでしょうね。『狂女物』というのは、常に女性が狂乱しているのではなくて、なにか狂乱に至るスイッチみたいなものが存在するんです。『隅田川』に関していうと、『名にし負はば』という言葉がスイッチなのかもしれませんね。
 母親は「都から来た私が白い鳥を見てあれは何?と聞いているんだから、在原業平の詠んだ『名にし負はばいざこと問はむ都鳥……』を使って答えないなんて、なんて無粋なの?」と船頭をやり込めるんですね。謡曲の作者が原典の『伊勢物語』をふまえて、言葉を巧みにパズルのように組み合わせ緻密に伏線をはりめぐらせているわけです。
 またここは、「さすが都の人だ」と強調する部分でもあります。一般に狂女物では気持ちが昂ったり、鎮まったりするのを繰り返しているので、演じるほうも常に一定のテンションではなくて、その波みたいなものを表現するようにと、ご指導いただいたております」

――― この『隅田川』は、最後に子供が出てくるか出てこないかで議論にもなっていたそうですが。

坂「元雅がお父さんの世阿弥と『申楽談義』という書物の中で議論を戦わせているんです。世阿弥は子供は出さない方がいいと言うんですが、元雅は出した方がいいという考え方で、意見が対立してるんですけど、最後に世阿弥が、『してみてよきにつくべし(してみてよかったほうでいこう)』と言ってるんですね。今でも子供を出さない演出もあります。でも、元雅は先ほども言ったように、衆人環視の中で奇跡が起こるのが好きだったと思われますので、子供を出したかったんだろうなと思います」

――― 五歳の娘さんがそこを演じるということは、そこがかなりの見せ場になるのではないでしょうか。

坂「そうですね。最初は声だけなんですが、最後は姿を現します。子供なのでじっと待っているほうが大変かもしれません。自分の子供の頃を思い出しても大変でした。私の父は、私が舞台に子方として出るときには、寝る前に絵本を読み聞かせるように、『このお能はこういう話だよ』ということをかみ砕いて教えてくれて、それを聞いて、作品の流れの中で、子供ながらに何を求められているかが徐々にわかるようになりました。今も娘に対しては、なるべく同じ様にしています」

――― 最後に、このインタビューを見て今回の『伊勢物語夢幻』に興味を持った方に一言お願いします。

坂「能楽堂に限らず劇場の椅子に座って二時間三時間、作品を鑑賞されるときに、なにか知識欲を満たされたいと言う気持ちを持たれるのもいいことだと思うんですが、一方でなんだかわかんないけど、こんな風に感じたとか、この時間に満足したみたいなことも、あればいいかなと思います。
 私自身も例えば博物館に仏像を見にいって、音声ガイドを聞いていると、なるほどそういうことかと満足する部分もありますが、感動ってまた別の次元のものでもあるとも思ったんです。そこにある仏像と対峙している空気みたいなものを感じるのも、重要なのかなって。わかるってことも大事だけど、それだけじゃなくて、生身の人間が劇場空間で呼吸しているのを感じてほしいですし、私たちもそれに応えられる舞台をしないといけないと思います。あまり難しく考えずにいらしていただいて、そこで何か感じていただければ嬉しいです」


(取材・文&写真:西森路代)

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PROFILE

坂 真太郎(ばん・しんたろう)のプロフィール画像

● 坂 真太郎(ばん・しんたろう)
1972年生まれ。東京都出身。能楽師(シテ方・観世流)。三世観世喜之師、および、父・真次郎に師事し、1975年、3歳のときに仕舞『老松』で初舞台を踏む。東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻在学中に安宅賞を受賞。その後は、イギリス、スペイン、ベルギー、韓国などの海外公演にも参加する。また今年はNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』に能楽師役として出演もしている。

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