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山野 海


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社会の発展と共に消えた懐かしきあの時代が、下北沢・駅前劇場に蘇る。

名もなき市井の人々が織りなす、バカバカしくも力強い昭和の人情喜劇。

――1999年の旗揚げ以来、笑って泣ける良質な喜劇を世に送り出してきたふくふくや。昨年10月にはあの小泉今日子を客演に招き、小劇場界の話題をさらった。最新作『テキ屋の子供』では、昭和39年、東京オリンピックを目前に控えた過ぎし日の夏を舞台に、テキ屋のおかみとその義弟ふたりの周囲で巻き起こる騒動を描く。ふくふくやの看板女優にして、「竹田新」名義で脚本も手がける山野海に話を聞いた。


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遠き日の“生きる力”を描く、ふくふくやの十八番。

「まさかキョンキョンが駅前劇場に立つなんて、私も一緒に舞台に立ったけど、今でも嘘でしょって思ってますから。ある回では客席の方が豪華でしたから、有名人がいっぱいいるなあって(笑)」

――― 前作『フタゴの女』のことを山野はそう追想する。豪快に笑い飛ばすその大らかさには、古き良き“日本の母”の面影がにじむ。ふくふくやのアイコンであるおたふくさながら、周囲に福を招くような多幸感を、山野は備えている。

「おかげさまでたくさんの人に注目してもらって。だからこそ、次はふくふくやが今までやってきたものをやろうって思ったんです。『フタゴの女』は現代劇だったけれど、ふくふくやでよく取り上げてきたのは、昭和30年代が舞台の話。それを、ゲストも呼ばずに、私の本のことをよくわかっている劇団員だけでやろうって決めました」

―――昭和39年、日本は高度経済成長期の真っ只中だった。ここ数年、映画や小説でも題材として注目されることの多い、“日本が最も元気だった”時代だ。

「主人公はバナナの叩き売り。決して知識層ではなく大学も出ていないし、今みたいにネットがあるわけでもないから社会も狭い。だけど、戦後のあの混乱期の中から生き抜いてきたわけで、パワフルだし馬力もある。彼らには“生きる力”があるんですよ。それは勉強して学んだことではなく、もっと動物的というか直感的なもの。あの時代特有の、戦争のさなかで生きるための経験値として身につけた野生の勘みたいなものです。それを今回も描きいたいしやりたいと思っています」

―――それは情報過多の社会で生きる現代人が失ったもののように見える。山野が作家としてこの時代にこだわり続けているのは、何か今の世の中に警鐘を鳴らしたいものがあるのだろうか。

「そんな大げさなことは何にもないです(笑)。ただ単に私が江戸弁が好きなだけ。私の祖母が江戸っ子で綺麗な江戸弁を使っていたんですよ。けど、今は地方から来た人も恥ずかしがらずに方言を使うようになって、少しずつ江戸弁っていうものが消えつつある。だから残したいというと大げさだけど、単純に私が江戸弁を言いたいって想いがあるんですよね(笑)」


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劇団員同士だからこそ、つくれるお芝居がある。


―――その想いの根底には、山野自身の生い立ちがある。昭和40年生まれ。生粋の東京生まれ新橋育ち。当時の新橋は、オフィス街として発展しながらも、まだ下町の猥雑さが混在する街だった。

「近くに演舞場があったから、よく人力車に乗って芸者さんも通っていたし、トルコ風呂もキャバレーもあった。オフィス街で働く人たちは綺麗な恰好をしていたけれど、私なんかは乾物屋のオジちゃんに“早く帰れ、バカ野郎”なんて拳固をもらって育ちましたから(笑)。今は上品を心がけてますけど(笑)、私も江戸っ子なんで口が悪いんですよ。毎月1のつく日は屋台が出て、今みたいに玩具だけじゃなくて、胡散臭いものも置いてました。お好み焼きなんてね、新聞紙にくるんで渡されるの。不潔だし、今じゃ考えられないでしょ。でも当時はインクのにおいと一緒に食べていましたね」

―――そう振り返る表情は自然と楽しげなものになる。いろんなことがデタラメだったけれど、理屈ではない力強さがあったあの頃のエネルギーを描きたいと山野は語る。

「最初はうちのお客さんって年齢層が高かったんですよ。それこそ当時を生きていたようなご年配の方から私と同い年くらいまで。でも最近は20代の方も観に来てくださるようになって。きっとみんながわあわあと言ってたあのお祭り騒ぎみたいな時代って、若い人から見ても楽しいんだと思います」



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―――だからこそ、山野は古き良き昭和の物語を、奇をてらわずストレートに描く。難解な作品も多い小劇場の世界で、この大衆性は逆に異色だ。

「私は別に社会に問題提起しようとか思ってるわけじゃないので。そもそもニュースもろくに見ない女にそんなの書けない(笑)。それに、こういう芝居こそ腕がいるんです。上手い役者がやらないと野暮ったくなっちゃうから」

―――その言葉には、劇団員への全幅の信頼がある。年1回の本公演以外は、劇団員たちはみな別々のフィールドで映像や舞台など様々な作品に出演している。そこで得た経験を持ち帰って、ホームであるふくふくやでひとつ上のステップにチャレンジすることを山野は年に1度の楽しみにしている。

「劇団にはそれぞれのイズムがある。客演の方にはまずそれをきちんとご説明して理解していただく作業から始まるけど、阿吽の呼吸の劇団員だけならその時間はいらない分、もっと濃密につくれるんじゃないかなって。だから、劇団員だけの芝居というものを一度やってみたかったんですよね。特に私たちはいい年をしたオジさんオバさんばかり。お芝居って大人じゃないとつまらないんですよ。悲しみひとつとっても、そこにはいろんな感情がないまぜになっていて、それは経験を積まないとわからない。年をとることで芝居が何層にも深まるんです。それをお客さんが自分の視点でどこからでもどうとでも切り取ることができるのが舞台の面白さだと思うんですよね」

―――山野は、ふくふくやのお芝居を30代〜50代の働きざかりの大人たちに観てもらいたいと言う。

「みんな悩むこともあるし、いろいろ大変じゃないですか。だから、ふくふくやに来た時は、いろんなことを忘れて、単純に笑ってもらって泣いてもらって、バカだねって言って、終わったらビールでも飲んで帰ってもらえたら。この世代って、会社でも家でもなかなか自分ひとりで集中できる時間をつくれない人たちが多いと思う。だけど、劇場に来たらもう出られないし、舞台に集中するしかない(笑)。集中するって気持ちいいこと。ふくふくやに来ることで、そういう時間をみなさんにつくってもらえたらいいなって思います」

―――瞼を閉じれば蘇る懐かしき郷愁の風景。雑多な日常から解き放たれ、しばしその世界に身を委ねるのも、オツな大人の楽しみかもしれない。

(取材・文&撮影:横川良明)


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PROFILE

山野海(やまの・うみ)のプロフィール画像

● 山野海(やまの・うみ)
1965年9月16日生まれ。東京都出身。4歳から子役として活動し、19歳で小劇場の世界へ。99年、ふくふくやを立ち上げ、以降全公演に出演。作家「竹田新」として、ふくふくや全作品の脚本も手がける。映像作品への出演にも意欲的で、主な出演作に『救命病棟24時』『もう一度君に、プロポーズ』など。13年には大河ドラマ『八重の桜』にもレギュラー出演を果たした。

● ふくふくや
1999年、山野海を中心に設立。毎回多彩な客演を迎え、「30〜40代の男と女」をじっくりと描く、大人の芝居を上演している。設立より下北沢を中心に活動を続け、09年には第19回下北沢演劇祭に参加し多くの反響を呼ぶ。14年、小泉今日子、渡辺哲を客演に『フタゴの女』を上演。その豪華なキャスティングで注目を集め、連日満員の大成功をおさめた。

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