1969年に井上ひさしがテアトルエコーに書き下ろした『日本人のへそ』。井上が本格的な戯曲に取り組んだ処女作だが、単なる演劇作品ではなく、歌あり踊りありの音楽劇仕立ての作品だ。その後1985年に自らが主宰したこまつ座第2回公演で上演、2011年には井上の追悼公演の一つとして上演されるなど、節目毎に上演されてきた。そんな『日本人のへそ』をこまつ座が10年振りに再演する。主要なキャストの中から山西惇と朝海ひかるに話を聞いた。
―――こまつ座の舞台ではもはや常連キャストとも言うべき山西と、この数年積極的に起用されている朝海。10年前の公演には関わっていない2人が『日本人のへそ』に挑むのは、今回が初めてだ。作品についての話があまりに面白いので、ここから先はほぼそのままお送りしたい。
山西「10年前は観ていないんですね。僕は平田満さんと石田えりさんの時(1985年)を京都で観た憶えがあります。こまつ座さんの舞台には何本も参加させてもらっていますが、何回か演出の栗山民也さんに、井上作品で何が1番好きかを聞いたことがあるんです。お酒が進んでくると栗山さんは“結局1番好きなのは『日本人のへそ』なんだよな”とおっしゃることが多い。何本もやってこられた中で、井上さんの全ての面白さがこの作品に詰まっているんじゃないかと。“あんなに滅茶苦茶で面白い芝居ないよ”ともおっしゃいますね(笑)。そんなことが何度かあって、もしも栗山さんがまた『日本人のへそ』をやる時は是非ご一緒したいと思ってました。でもね、僕が演じる教授は大変な役なんです(笑)。もう夏くらいから台本を開いて取りかかってますが、どれだけやっても終わらない(笑)。ものすごい台詞の量なんです」
朝海「それに駅名の台詞もあるでしょう」
山西「そう、遠野から上野まで111の駅名をただ言うところ」
朝海「あれはどうやって憶えるんですか? よく電車の駅名を暗唱できる子っているじゃないですか。男性はそういうことに長けているんじゃないですか」
山西「僕はそういうタイプの子どもじゃなかったんですね(笑)。だから自粛期間中、何もすることがないから、駅名を何個かずつ憶えていく動画をInstagramに上げてました。でもね、それは教授の台詞全体のほんの数パーセントです。1割もいかない」
朝海「『藪原検校』の時も大変だったでしょ。それと比べるとどうです?」
山西「栗山さんの演出でね。あれも自分の台詞をさらうだけで1時間半かかりましたが、きっと同じくらいじゃないですか。でも今回は歌もあるからね」
朝海「その歌詞がまた長い(笑)」
山西「だから歌はまだ無視してます(笑)。まずは台詞だけと思って取りかかったけど、それでも驚くべき量がある。普段はお風呂に入りながらとか運転しながら台詞を憶えるんですが『藪原検校』では1幕が終わる前にのぼせちゃうから無理でした(笑)。でも、井上さんの台詞は論理的に組み立てられているので、入り出すと飲み物を飲むようにスルスル入っていく瞬間がある。それがものすごく気持ちいいんですね」
朝海「私は山西さんほどの台詞はなくて、むしろ体力勝負です。前半はストリッパーの役なので、音楽に合わせて踊るシーンがあって……どんな振付になるのか、ちょっとドキドキしています。“ストリップのダンスとは”というト書きがあって“観客は色々な性癖や考え方を持っているからこちらから色を付けてはいけない”とあるんですね。凄く面白いなぁと思って。これからストリッパーになるつもりはないけれど(笑)。俳優として勉強になる部分でした。井上さんの戯曲は言葉の荒波をワシャワシャ泳いでいくような、そんなイメージで、ここを泳ぎ切るエネルギーは他の作品では味わえないものです。だからいつも“ヨシッ、ヨシッ”って気合いを入れてやってます。この前の『私はだれでしょう』の時は3人いた女性キャストの楽屋が、開演前には気合いを入れている音で相撲部屋みたいになってました(笑)。でも演じていると本当に楽しい。山西さんが気持ちいいと言うのがよくわかります」
山西「僕が『人間合格』に出演した時は井上さんもまだご存命で、何度かご飯をご一緒した記憶が濃厚に残っています(笑)。ふぐとすき焼きと中村屋のカレーと(笑)。稽古場には初日にいらっしゃって“言いたいことは一つだけ、一言一句違わずお願いします”という有名な台詞を生で聴きました。あとは初日をご覧になって“今までで1番友情が見えたね”と言ってくれたのは嬉しかったですね。山形で打ち上げ兼ねてすき焼きを食べた時に、僕が調子に乗って“今度は新作をお願いします”って言ったら、井上さんが“新作地獄って言う言葉があるのを知っていますか”って(笑)。結局それを味わうチャンスはありませんでしたが。『日本人のへそ』は井上さんの最初の戯曲ですが、“処女作には作家の全てが入っている”と言いますけれど、その通りですね。言ってみれば(主役の)ヘレン天津というストリッパーの評伝劇であり、音楽劇であり、言葉遊びも盛り込まれて、これが本当に最初の作品かと思いますね。もう手練れの作家の作品にしか観えないですよ。一分の隙も無いですから。読めば読むほど驚かされます」
朝海「まさに“一分の隙も無い”とはこのことですね。純粋に読み物として読んでもすっごく可笑しい、思わず吹き出してしまいます。私もこれが(劇作家としての)デビュー作とは思えないし、井上さんの魅力が詰まっていると思います。日本人のための和製ミュージカルという謳い文句そのままで、この時代に日本人しか出来ないミュージカルを完璧に作り上げたんですね。お客様はきっと今回の主演のお二人、井上芳雄さんや小池栄子さんの今まで見たことない姿を観ることができると思いますよ」
山西「あとはエネルギーを感じていただきたいですね。この1年、日本だけでなく世界的に元気がなくなっていますよね。この作品は1969年初演で、それって僕が小学校1年生の頃なんです。調べてみたら『8時だヨ!全員集合』や『水戸黄門』『男はつらいよ』などが始まった頃で、つまり元気な日本が始まった頃。そのエネルギーをそのまま井上さんが写し取ったような芝居だと思います。それをどれだけ再現できるかわかりませんが、その時代を知らない人にも観てもらって、エネルギーに溢れた日本を感じてもらえば良いなと思います」
朝海「そう聞くとタイムカプセルみたいですね」
山西「時代背景を知らないとわからない部分もあるかも知れませんが、それを今風にするのではなく、あの時代の感じのまま再現するのを受け止めてもらえればと思いますよ」
―――いかがだろう。お二人の会話の中から『日本人のへそ』の面白さが垣間見えたのではなかろうか。ならば山西や朝海、そして演出の栗山が言うようにどう“滅茶苦茶で面白い”のかを劇場で確かめていただきたい。なお山西が111駅を諳んじる様子はまだInstagramで見ることが出来るので、興味のある方はそちらもどうぞ。
(取材・文:渡部晋也 撮影:岩田えり)