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小林 幸子(こばやし さちこ、1953年(昭和28年)12月5日 - )は、日本の歌手、女優、タレント、実業家、YouTuber。本名:林 幸子(はやし さちこ)。旧姓:小林。血液型はA型。身長165cm。幸子プロモーション所属。古賀政男に見出された確かな歌唱、『登場の美学』をモットーに、豪華すぎる紅白衣装で話題をさらった、昭和〜平成を代表する国民的演歌歌手、エンターテイナー。
新潟県新潟市(現在の新潟市中央区)出身。1963年(昭和38年)、9歳(小学4年生)の時にTBSテレビ『歌まね読本』にてグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトを受ける。
翌1964年(昭和39年)には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビュー。デビュー曲がレコード販売20万枚のヒット曲となる。
1966年(昭和41年)7月30日から1968年(昭和43年)1月27日まで日本テレビ『九ちゃん!』に「チビッコトリオ」としてレギュラー出演。
1968年(昭和43年)にはNET(現:テレビ朝日)で放映された青春ドラマ『青い太陽』に主演、背泳ぎでオリンピック出場を目指す女学生を演じ、同作の主題歌(エンディング曲)と挿入歌も歌唱。"第2の美空ひばり"と騒がれたが、歌手業ではヒット曲が続かず、またお手本としていたはずの美空ひばりの母親から、あまりにもひばりを模倣しているとの嫌悪感から敬遠され(後に和解)仕事が激減していき、10年の長い不遇が続く。
低迷期には10年間にわたって一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に言えぬ苦労を経験した。昼間は各地の興行を行いながら地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをしたり、夜になると毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれたりしながら歌い廻っていた。
『週刊平凡』1971年1月14日号で、東京銀座六丁目の高級クラブ「ピロポ」でホステスとして働いていると報じられた。同店は小林より先に加山雄三の妹が勤めていることで有名だったが、小林は「六本木の『瀬里奈』で専務の平山成仁さんに会って、彼とは東映の映画に出てたころの関係で『今度銀座に店を出したから遊びにおいで』と言われたのよ。ホステスなんてとんでもない」と否定したが、実際は1970年12月7日から週2日程度、店で歌も歌いつつ、席に着いてお客の接待をしていた。1971年1月以前の東映映画の出演については公式プロフィールでは公表されていない。
その間には小林幸子(日本コロムビア)→小林さち子(ビクターエンタテインメント)→岡真由美(テイチク)→小林幸子(ワーナー・パイオニア)と幾度も改名したりレコード会社を移籍したりした。過去にはサンミュージックプロダクションにも所属していた。
1974年(昭和49年)には第一プロダクションに移籍。1977年(昭和52年)には雑誌『平凡パンチ』グラビア内で最初で最後のセミヌードを披露する。1979年(昭和54年)に『おもいで酒』が有線放送から徐々に知名度が上がり、レコード販売200万枚の大ヒット。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場し、紅白初出場を果たす。全日本有線放送大賞グランプリ、第21回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。
1980年(昭和55年)にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』(美樹克彦とのデュエット曲)、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たす。
1983年(昭和58年)5月には米国ロサンゼルス、ブラジルなどで初めての海外公演を行い、新宿コマ劇場で初の単独座長公演を行った。
1987年(昭和62年)には、第一プロダクションから違約金2億円で独立、個人事務所の幸子プロモーションを設立する。
1988年(昭和63年)、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務める。
1993年(平成5年)、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。同年12月、紅白に15回連続出場を果たす。
1996年(平成8年)、ワーナーミュージック・ジャパンが演歌部門を撤退したのに伴い、古巣の日本コロムビアに移籍。
1997年(平成9年)、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。同年にテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『ポケットにファンタジー』を歌い、以後何度かポケモン関連の活動を行っている。『ポケットにファンタジー』がテレビ初放映されたのはポケモンショックの回であった。同年にはイマクニ?、レイモンド・ジョンソンとのユニット「スズキサン」としてシングル『とりかえっこプリーズ』を発売。ポケモンカードゲームのCMソングとして流れた。
1998年(平成10年)、芸能生活35周年を迎える。ジャズの殿堂ブルーノート東京にて、演歌歌手としては初のライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催。『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当。そして、20年連続出場となった同年の『第49回NHK紅白歌合戦』にて同曲を披露した。