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都一中

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Wikipedia

都 一中(みやこ いっちゅう)は、一中節の三味線方の名跡。代々都派の家元。別名「都太夫一中」。

初代

(慶安3年(1650年) - 享保9年5月14日(1724年7月4日))本名は恵俊。都太夫一中ともいわれる。江戸中期の一中節の創始者。

京都の浄土真宗本願寺派明福寺の3代目住職周意の次男として生まれる。住職を務めていたが、元来芸事を好み、1670年に還俗して須賀千朴を名乗る。延宝年間から貞享年間にかけて幇間(太鼓持ち)として活動した後、浄瑠璃太夫となる。当初は座敷浄瑠璃を語ったが、1706年11月に大坂の片岡仁左衛門座で「京助六心中」小屋出演も果たしている。

初代の師匠と流派については、都越後目(都越後掾、のちの都万太夫)に師事したとする説と、直接の師は山本角太夫で兄弟子を松本治太夫とする説があり、後者が有力な説とされる。また、近松門左衛門の実の兄が初代一中であるとする俗説があるが、活動した地域や没年が同一で、かつ両者とも浄瑠璃に関係する人物であることから生じた珍説である。

主な弟子には、実子の若太夫(後の2代目一中)、豊後節の宮古路豊後掾など、多岐に渡って多くの名人を育てた。

2代目

(生没年不詳)初代一中の実子。若太夫が没後に襲名。後受領し京太夫一中、京太夫和泉掾を名乗った。

3代目

(寛保3年(1743年) - 文化3年8月4日(1806年9月15日))

初代の門下。都秀太夫千中の名で森田座等で出勤。

4代目

(生没年不詳)

初代の義理の息子。金太夫三中、吾妻路宮古太夫を経て2代目没後に3代目襲名。


 

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