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ヒロシ



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Wikipedia

ヒロシ(1972年1月23日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談師、ベーシスト、俳優、YouTuber。本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。

熊本県荒尾市出身。ヒロシ・コーポレーション所属。九州産業大学商学部商学科卒業。身長175cm、体重70kg、血液型O型。

趣味はキャンプ、キャンプグッズ集め、ジムニー、釣り、家庭菜園、ベース演奏、熱帯魚飼育。特技は「あるんだったらテレビに出てるよね」(ヒロシ談)。小型船舶操縦免許取得。

来歴・人物

生い立ちからデビューまで

熊本県荒尾市で生まれた。実家は万田坑のそばで、父は炭鉱マンだった。本名の「健一」は、「健康第一」という願いを込めて付けられたもので、弟・康次(診療放射線技師をしている)と一字ずつとって合わせると「健康」となる。炭鉱の街の炭鉱住宅に住み、みな生活レベルが同じだったため、貧富の差を感じたことがなかったが、中学生のとき神奈川県に住むいとこが遊びに来た際に、「汚いから」という理由でヒロシの家に泊まらずホテルを利用したことから初めて自分の家が貧しいということを知った。1981年の秋、ヒロシが小学4年生のとき、父親が仕事中の落盤事故で左ももから下を失った。炭鉱の落盤事故は珍しいことではなく、近所を歩けば片足を失った炭鉱マンと頻繁にすれ違っていたヒロシにとってそれは見慣れた光景であったが、父親が左脚を亡くした現実はなかなか受け入れることが出来なかったと語っている。父はその後、炭鉱の保健課の事務職として働いた。父は読書家で教養のある人物だった。勉強に関しては厳しく、ヒロシが宿題で分からないところがあると叱られたり、家の外に締め出されることもあった。ヒロシ自身は父が勉強に厳しかった理由は、自分のように危険な仕事ではなく、大学を出て安定した企業でサラリーマン生活を送るという道を息子に歩ませたかったのではないかと考えている。半面、父は身体を使う仕事に誇りを持っており、高校生のときにヒロシが飲食店の皿洗いのアルバイトをすると激怒して辞めさせたが、土木作業や駐車場整理のアルバイトは応援してくれた。

ヒロシが小学生のころ漫才ブームの真っただ中で、特に好きだったのがツービートの漫才だった。「芸人」という職業に衝撃を受け、自然と憧れの気持ちが強くなったのもこのときだった。小学生の頃、家族に頼み込んでなんばグランド花月に行き、初めて生のお笑いライブを観劇。その中でひときわ面白かったのが、全国区になる前のダウンタウンで、劇場の外で待つ多くの女性ファンを見て「お笑いで頑張ればこんなにモテるんだな」と衝撃を受けた。小学生時代のヒロシは暗くいじめられっ子で、担任教師にさえ嫌われていた。中学は地元の荒尾市立荒尾第三中学校に進学。中学3年生の時の三者面談で、初めて芸人になりたいと打ち明けたが、先生に軽くあしらわれた。

熊本県立荒尾高等学校から指定校推薦で九州産業大学商学部商学科に進学。大学1年生のとき、男友達2人を誘ってトリオ「貴族」を結成し、吉本興業が主催するお笑いオーディション番組「激辛!?お笑いめんたい子」(テレビ西日本)に応募。テレビ熊本で行われた熊本予選に参加するが不合格。就職活動で大阪府や福岡県などの企業を数社受けたが全滅。就職が決まらないまま大学を卒業し、実家に帰りしばらくダラダラとした生活を送る。その後見かねた両親が知人の伝手で保険会社に就職させ損害保険の営業の仕事に就くも、極度に人見知りの性格であったため営業の仕事が務まらず、サラリーマン生活自体不向きだと考えるようになり、入社から半年後、身内を一通り保険に加入させたところで退職した。23歳のとき、再び「激辛!?お笑いめんたい子」のオーディションに挑戦。前回一緒に出場した男友達2人には断られた為、1人で出場し、中森明菜や近藤真彦の物真似を披露。結果は不合格だったが、福岡吉本のスタッフが不合格者の中からどうしてもお笑い芸人になりたい人を募った。前回出場したときも同じような声かけはあったが、その時は勇気がなく手を挙げられなかった。しかし、2度目の挑戦のときは会社員として挫折を経験していたため、「もう逃げ道はない」という強い気持ちで、そのスタッフに連絡した。

お笑い芸人

福岡吉本時代

しばらくするとナインティナインが出演するイベントに呼ばれ、芸人になるきっかけが出来たと喜んでいたが、やらされた仕事はチケットのもぎりであった。その後も雑用係としてイベント会場に呼ばれる日々が続いた。不安になっていたある日、突然「ライブをやるからネタを作ってこい」と言われた。そのとき残っていたのは十数組だけで、後の「福岡吉本6期生」として同期となるメンバーであった。その中には、パンクブーブーの佐藤哲夫、スパローズなどがいた。ネタ見せは福岡吉本の所長がいる中で行われた。ヒロシ自身、ネタの詳細は覚えていないが、下品で下ネタを含むネタを披露したところ、所長に激しく激怒されスリッパを投げつけられた。ネタを酷評されたことからピン芸人としてやっていくことに不安を感じ、元々漫才師を目指していたこともあり、コンビを組みたいという気持ちが強くなっていった。早速、同期に声をかけコンビを組むが、当時思い切ったことをやれば売れると勘違いしていたヒロシはその相方に「うんこを食ってみよう」と提案し、考え方が違うと拒絶され、舞台に1度も上がることなく1か月で解散。その後、3人組でコントをやり、そこそこ評判が良かったが、短期間で解散。そして、ツッコミが上手そうだった友納一彦を誘い「ベイビーズ」を結成し、落ち着いた。ヒロシがあがり症で大きな声を出したい気持ちが強かったため、ベイビーズ時代はキレ芸をしていた。ライブではそこそこウケるものの一向に売れる気配がなく、事務所からの評価も最悪だったことから、友納と多くの芸能プロダクションがあり、新人発掘のライブが頻繁に行われている東京で暮らした方が良いのではないかと考えるようになった。そこで、3年間所属した福岡吉本を辞め、26歳の時に上京。当時は芸人仲間6人(その中にパラシュート部隊の矢野ぺぺもいた)と中野区の6畳一間のアパートで共同生活を送っていた。

ホスト時代

ベイビーズ時代、「熊本弁の認知度を上げたい」という気持ちやヒロシも相方も日常生活もままならないほど方言訛りがひどく標準語が話せなかった為、熊本弁でキレ芸を展開。ライブ後のアンケートではいつも「何を言っているのかさっぱり分からない」と不評だった。最初は「観客が理解するようになればいい」と強気だったが、人気投票でいつも最下位だったことから危機感を覚え、徐々に標準語にしていった。ライブへの出演が続いていたある日、相方と一緒に受けたテレビ番組のオーディションにヒロシだけ合格。それは建設現場のとび職の体験で足場の下に土佐犬が待っているというものだった。出番までの2か月間、その土佐犬の世話までさせられたが、出演料は2万5千円だった。仕事を終えて帰ると相方と温度差が出来ており、コンビは解散。相方は地元福岡に帰った。コンビ解散後、生活費に困っていたところ、ライブに出ていた芸人仲間から「ホストは稼げるし、モテるぞ」と聞いた。後々それはその芸人が自分がモテると自慢したいがための嘘だったと判明するのだが、ヒロシは騙されて知り合いの知り合いの彼女の更に知り合いという遠いつてをたどり、歌舞伎町の小さな店で働き始めた。源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」で、殺し文句は「あなたの心を一刺し」。面接で酒が飲めないと知らせていたにも関わらず採用されると毎晩大量の酒を飲まされ、飲まないと怒鳴られる、長時間労働で風呂も入らず仮眠をとっただけで出勤、高熱が出て仕事を休んでも罰金3万円を払わされるといった辛い日々が続いた。指名がほとんどなかった為、給料は月3万円程度で唯一の休みだった日曜日は、コンビニでアルバイトをしていた。週1回のアルバイトなのに、ホストよりコンビニのアルバイトのほうが給与がよかった。ホストクラブを辞めようとすると「代わりのホストを探せ」と脅され、逃げようとすると1日6万円で借用書を書かされ、取り立てに来られた。また、ホスト時代はホームレスになった。当時交際していた女性が二股をしており、ヤクザ風の男たちがヒロシが芸人仲間と共同生活をしていたアパートに押しかけてきた。身の危険を感じて窓から逃亡し、それ以降、そのアパートには戻らなかった。新しいアパートを借りる余裕もなかった為、ホストの客引きの時間に見知らぬ通行人に泊めてくれるように頼んだ。時々泊めてくれる人もいたが、何日もお金を払わずに居座ると追い出され、また新しい宿を探すという生活を続けていた。宿がなく、二日酔い状態で意識が朦朧とし、路上で倒れているときに、仲の良かったお笑いコンビサンドウィッチマンに偶然発見され、介抱してもらったこともあった。ヒロシは後に、29歳から31歳までのこのホスト時代を「まさに生き地獄」だったと回想している。また、「ヒロシです」のネタでブレークした頃、よく「ホストキャラ」と呼ばれたが、ホスト時代に辛い経験をしていた為、そういわれるのが嫌で仕方なかったと明かしている。

「ヒロシです」誕生とブレイク


 

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2019年10月15日 (火)
浅草公会堂