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岸田國士

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Wikipedia

岸田 國士(きしだ くにお、1890年(明治23年)11月2日 - 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。

代表作に、戯曲『チロルの秋』(1924年)、『牛山ホテル』(1929年)、小説『暖流』(1943年)、『双面神』(1953年)など。

妹の勝伸枝は作家、本名は延原克子で翻訳家・延原謙の妻。長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子、甥に俳優の岸田森がいる。

映画脚本『ゼンマイの戯れ』(1926年)もある。

経歴

東京市四谷区(現・東京都新宿区)に和歌山県出身の陸軍軍人岸田庄蔵の長男として生まれる。岸田家は旧紀州藩士の家系であった。

陸軍士官学校を経て少尉に任官、久留米の歩兵第48連隊に配属される。

文学への思い止み難く、父の勘当を受けながらも軍籍を離れ、28歳で東京帝国大学文科大学に選科生として入学する。フランス文学や近代演劇を学び、鈴木信太郎・辰野隆・豊島与志雄・関根秀雄らと親交をむすぶ。著名な訳書はジュール・ルナール『にんじん』、『博物誌』、『ぶどう畑のぶどう作り』などで、今日でも重版されている。

仏領インドシナを経由してパリに遊学、ジャック・コポーが主宰する小劇場ヴィユ・コロンビエ座などに出入りし、当時フランスで盛んになっていた演劇純粋化運動に接していたが、1922年の父の死去により、翌年帰国する。

1932年新設された明治大学文芸科教授となる。1937年に顧問を務めていた築地座を解消し、新たに文学座を岩田豊雄・久保田万太郎らと創設する。

1940年から1942年まで大政翼賛会文化部長を務め、太平洋戦争後の1947年にGHQにより公職追放となる。

1954年、文学座の上演『どん底』(原作マクシム・ゴーリキー)の演出に携わっていたが、3月、舞台稽古中に脳卒中に襲われ病院に運ばれたが翌日死去。63歳没。

年譜

  • 1890年(0歳) - 11月に東京四谷右京町で近衛砲兵連隊付大尉、岸田庄藏・楠子の長男として生まれる。
  • 1897年(7歳) - 東京 四谷尋常小學校に入学。
  • 1899年(9歳) - 父の転勤に伴い、名古屋市棣棠尋常小学校(現・名古屋市立山吹小学校)へ転校。
  • 1902年(12歳) - 名古屋第二高等小学校に入学。

 

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