※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。
梅沢 富美男(うめざわ とみお、本名:池田 富美男、1950年〈昭和25年〉11月9日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント、コメンテーター、司会者、俳人。大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長、株式会社富美男企画代表取締役。青森県西津軽郡深浦町「深浦町観光特使」、同県南津軽郡藤崎町「ふじりんご故郷応援大使」、および、福島県「しゃくなげ大使」を委嘱されている。愛称は「下町の玉三郎」。現在は東京都在住。
妻の池田明子は臨床検査技師、フィトセラピスト(植物療法士)。従甥はバドミントン五輪選手の池田信太郎。従弟は日本画家、東京芸術大学名誉教授の福井爽人。兄は俳優の梅沢武生。
1939年に旗揚げした剣劇一座「梅沢劇団」の創設者にして、戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期のスターであり、浅草「常盤座」などの劇場を満員にした花形役者の父・梅沢清(1909年 - 1983年)と、娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代(1913年 - 1999年)の間に、8人兄弟の五男(第7子)として生まれる。生まれた当時、阪神タイガースの主力選手だった藤村富美男に因んで「富美男」と名付けられた。自身が1歳7ヶ月の時、初舞台を踏む。
富美男が中学校に進学した年(1963年度)に、兄の梅沢武生が清から一座を引き継いだ。富美男は当初男役を演じていたが、贔屓にしてもらっていた石ノ森章太郎のリクエストでちあきなおみの「矢切の渡し」を踊ることになり、兄武生の勧めで女形を演じ、そのまま女形に転身する。独学で得た女形の美しさが一躍話題となって「下町の玉三郎」と呼ばれる一座のスターになり、また副座長として兄を支えた。2012年10月に武生から座長を引き継ぎ、武生はその後見に回る。
歌手としては、1982年に小椋佳が作詞・作曲を手がけた『夢芝居』が大ヒットしている。翌1983年には同曲で『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場。前川清とは公私ともに仲が良く、共演したNHK『ふるさと皆様劇場』は人気シリーズとなっていた。また、舞台でも2005年の新歌舞伎座公演などをともにしており、この年の6月8日にはデュオとして「朝まで踊ろう」をリリースしている。
2000年代以降、バラエティ番組やワイドショーでのコメンテーターとしての出演が増加、前者は特技である料理の腕前を披露することも多い。後者は読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』の出演依頼がきっかけで、当初依頼が来た際「(自分は)中学しか出ていないから」という理由で断っていたが、同居する義母・義母の妹・お手伝いさんの姿を見て依頼を受けた。「自分の本業は大衆演劇なので、いつ降板依頼が来ても構わない」というスタンスにより、辛辣なコメントを行う。多忙となった現在でも劇団の仕事を優先しており、劇団の地方巡業時はレギュラー番組を欠席している。
2012年5月23日にリリースされた、NHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)に、ボーカルとして参加している。
2014年、テレビ朝日系列の長寿番組『徹子の部屋』にて黒柳徹子のプロデュースにより松岡昌宏(TOKIO)、大竹まことと共に『松竹梅』というユニットを結成し、同番組に常連出演している。
2022年1月16日、兄の梅沢武生が死去。82歳だった。