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平田オリザ

平田オリザ



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Wikipedia

平田 オリザ(ひらた オリザ、1962年11月8日 - )は、日本の劇作家、演出家、劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場支配人、芸術文化観光専門職大学学長(初代)。戯曲の代表作に『東京ノート』『ソウル市民』三部作など。小説『幕が上がる』は2015年に映画化され、第70回毎日映画コンクール(TSUTAYA映画ファン賞日本映画部門)などを受賞。

現代口語演劇理論の提唱者であり、自然な会話とやりとりで進行していく「静かな演劇」の作劇術を定着させた。戯曲集のほか『現代口語演劇のために』など理論的な著書も多い。

現在、東京藝術大学アートイノベーションセンター特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学臨床心理学部客員教授、大阪大学コミュニケーションデザインセンター客員教授、東京都立大学客員教授、シューレ大学アドバイザー、日本劇作家協会理事、NPO法人ワークショップデザイナー推進機構理事、日本学術会議委員を務める。

祖父は医師の平田内蔵吉、父はシナリオライターの平田穂生。母は心理カウンセラーの平田慶子。父方の大叔父に『新戦艦高千穂』の著者である平田晋策。母方の叔父に映画監督の大林宣彦がいる。歌手・舞台女優のひらたよーこと1989年に結婚したが、2011年離婚。2013年に団員の渡辺香奈と再婚。2017年12月7日、青年団の公演「さよならだけが人生か」の記者会見で、55歳で自身にはじめての子供が誕生したと発表した。

経歴

東京都目黒区駒場に生まれる。平田オリザは本名で、ラテン語のoryza(正確な発音は「オリューザ」に近い)が「稲」を意味することから、オリザの父・平田穂生によって「子どもが食いっぱぐれないように」との願いをこめてつけられた。目黒区立第一中学校1年生のときに学芸会の劇を初めて演出し、その時の主演は後のデーモン閣下であった。中学を卒業して都立駒場高校定時制に進学。高校2年、16歳のときに高校を休学(のち中退)し、自転車による世界一周旅行を決行。その後世界26か国を放浪し、1981年に旅行記『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』(晩聲社)として出版している。

大学入学資格検定試験を経て1982年国際基督教大学に入学。同年に処女作を執筆。翌年に劇団青年団を結成。1984年、国際教育基金の奨学金により韓国の延世大学に1年間公費留学する。1986年、国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。その後すぐ父親が自宅を改装、借金をしてつくったこまばアゴラ劇場の劇場経営者になる。1994年、代表作『東京ノート』初演。同作品で翌年第39回岸田國士戯曲賞を受賞。同作は1999年の韓国公演以来、青年団により世界15カ国で海外公演されている。その後は1998年に『月の岬』で読売演劇大賞優秀演出家賞、2002年『上野動物園再々々襲撃』で同優秀作品賞、および日韓国民交流記念事業『その河をこえて、五月』で朝日舞台芸術賞グランプリ、2006年にモンブラン国際文化賞を受賞。2011年にフランスの芸術文化勲章シュヴァリエに叙される。2012年、平田オリザと青年団に焦点を当てた想田和弘監督による長編ドキュメンタリー映画『演劇1』『演劇2』が釜山国際映画祭でワールド・プレミアされ、日本でも劇場公開された。2019年、『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞。

2012年に執筆した処女作となる小説『幕が上がる』は、2015年に踊る大捜査線シリーズで知られる本広克行監督により映画化された(2月28日公開)。これによって小説にも注目が集まり、平田の作家人生において初となる累計10万部のベストセラー(2015年2月現在)となった。

学識者としての経歴

  • 1999年、桜美林大学文学部総合文化学科助教授就任(2005年に同学科の総合文化学群への改組とともに教授)。
  • 2006年、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授に就任(のちに客員教授)。
  • 2007年、大阪創造都市市民会議発起人に就任。
  • 2009年から2011年まで鳩山由紀夫内閣および菅直人内閣で内閣官房参与に就任。鳩山の所信表明演説に際しては、発声指導をおこなっていた。また、鳩山が主催する「リアル鳩カフェ」で、佐々木かをりとともにファシリテーターを任された。第2回リアル鳩カフェでは官邸の庭で催された鉄板焼きの様子が大きく報道された。菅直人内閣では国際交流担当となり、対外的な発言が物議を醸した。2011年3月、東日本大震災での原発事故を受けて菅直人内閣の内閣官房参与として、当時の鈴木寛文部科学副大臣からの依頼により、大阪大学での同僚だった八木絵香とともに、「原発事故が最悪の事態」となった場合の、内閣総理大臣談話の原稿を執筆した(事態が発生せず、発表されない原稿となった)。
  • 2010年、四国学院大学学長特別補佐・客員教授、リヨン高等師範学校客員教授に就任。
  • 2011年、富士見市文化芸術アドバイザーを委嘱された。
  • 2013年、東京藝術大学社会連携センター客員教授に就任。
  • 2014年、東京藝術大学・アートイノベーションセンター特任教授、京都文教大学臨床心理学部客員教授に就任。
  • 2015年、城崎国際アートセンターの芸術監督に就任。併せて、豊岡市の文化政策担当参与を拝命。
  • 2016年、岡山県奈義町の教育・文化のまちづくり監に就任。

 

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