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柴田侑宏



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Wikipedia

柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。

略歴

大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。

1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。

助手時代を経て、1961年、『河童とあまっこ』(宝塚新芸劇場)で演出家デビュー。翌1962年、『狐大名』で劇団本拠・宝塚大劇場でも初演出を果たす。精力的にオリジナル作品を執筆・演出する一方、演出家デビュー以後も1973年までは、先輩演出家の作品で演出補として補佐をつとめ、引き続き演出作法を学んだ。助手・演出補時代には白井鐵造、高木史朗、内海重典など戦前派のベテランをはじめ、一足先に演出家デビューを果たしていた横澤秀雄、菅沼潤たちほぼ同世代の先輩の補佐にもあたり、研鑽を積んでいる。

若手演出家時代の1967年に結婚、英子夫人は芸名・珠梨英で、宝塚歌劇団卒業生(49期生、1963年〜67年在籍)。

若手演出家時代は劇団方針から日本物の芝居演出家として働き、1972年から外国を舞台とした作品も手がける。1968年以降、毎年本公演 に作品を送り出し、1976年にはオリジナル新作『あかねさす紫の花』『星影の人』『バレンシアの熱い花』3作品を1年のうちに発表するなど、歌劇団の中軸演出家の一人として長く活躍。また1976年には『フィレンツェに燃える』にて昭和50年度芸術選奨新人賞を受賞。

1970年代〜80年代にかけて発表した多くの作品が繰り返し再演されるなど高く評価され、現在に至るまで歌劇団の財産となっている。1981年には、同歌劇団理事(理事職に就けば歌劇団での事実上の終身雇用が可能に)に就任。充実した活動の一方、80年代初め頃から眼病に見舞われ、視力低下、視野狭窄など症状は深刻化、1993年以降は口述筆記にて脚本を執筆する。病の影響で演出活動の続行も困難となり、1998年上演の『黒い瞳』以降は柴田が脚本を執筆し、演出を後輩など他の担当者に任せる分業体制の導入に踏み切って、演出家としては事実上一線を退く。 その後は劇団専属作家としての仕事にほぼ専念、2001年から2005年まで毎年新作を執筆して本公演に送り出し、劇作家としての健在ぶりを示した。2001年から同歌劇団顧問。2005年から2011年まで宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(演劇部門)を務めた。

2005年の『霧のミラノ』以降は、翌2006年〜2013年まで毎年全国ツアー公演等で再演された過去作品の加筆・推敲に主にあたっていた。2008年以降はスタッフ欄の表記上も演出家欄から名前を外し、演出家としては引退する。新作執筆の筆をしばらく置いていたことなどから、本公演との関わりも薄れ(2007年・10年・11年には本公演でも柴田作品を再演)、2014年は約46年ぶりに歌劇団の年間全公演を通して柴田作品が上演されない年となったが、同年久々に本公演のため新作を書き下ろし、翌2015年2月に10年ぶりとなるオリジナル新作『黒豹の如く』を上演、この83歳で果たした新作上演が生涯最後の新作となった。

2014年4月、歌劇団創立100周年を記念して開設された「宝塚歌劇の殿堂」(宝塚大劇場内)に殿堂入りを果たした。

2019年7月19日死去。87歳没。

最後の新作上演となった2015年以降も、同年と18年に本公演での再演が実現した他、15年から再び毎年全国ツアー等で柴田作品の再演は続き、19年5月の全国ツアー「アルジェの男」が生前最後の作品上演となった。更に19年10月の全国ツアーと、2020年にも既に2月に名古屋公演の演目として上演がなされ、柴田作品は彼の遺産として愛され続けている。

演出家像

  • 死去するまで歌劇団において、植田紳爾に次ぐベテラン作家(実年齢は柴田の方が上だが、植田の入団が1年早い)であり、55年以上の経験を有する重鎮であった。
  • 本人の「芝居とは人間を描くもの」「人間が息づく香気ある舞台を」という信条の通り、脚本の巧みな構成に裏打ちされた人間ドラマに定評があった。話の破綻・矛盾も滅多になく、多くの作品が再演されている。また、「女性の心情が表れる何気ない台詞や仕種をどう描き出せるか」「主役の男役を魅力的たらしめるものはヒロイン」という考えのもと、主役の男役と同等にヒロインも描き込み、トップコンビ演じる男女が物語の中で連動的なのも柴田作品の特徴である。
  • 劇団内では指導の厳しさで知られたが、20作以上に及ぶ再演作品の数が証するように、高い普遍性をそなえた作品を届け続けたこと、スターたちの個性を見極めた配役や描き込みの巧みさなど、座付作家としての職人技にも評価が高いこと、また舞台の完成度を高めようとする柴田の姿勢に共感する生徒も多いことなどから、人望は厚かったといわれる。
  • 剣幸・平みち・神奈美帆・杜けあきらも柴田に共感した生徒で、彼女らは歌劇団に希望してサヨナラ公演演目を『川霧の橋』(剣)、『たまゆらの記』(平・神奈)、『忠臣蔵』(杜)と柴田作品としたあたりにも柴田の人望の高さが窺える。

 

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