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関智一

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Wikipedia

関 智一(せき ともかず、1972年9月8日 - )は、日本の声優、俳優、歌手、漫画原作者。東京都江東区門前仲町、深川出身。アトミックモンキー名誉会長、同社所属。劇団ヘロヘロQカムパニー座長。日本芸術専門学校特別講師。

経歴

生い立ち

東京都江東区門前仲町生まれ、深川出身で、生粋の下町っ子。

一人っ子で、家に一人でいる時間が長く時間を潰すためにテレビを観ており、影響を受けて、タレント、歌手のものまねをしていたという。

ものまねを皆に見てもらいたいという、目立ちたがり屋の面があり、近所の公園に友人を集め、ものまねショーをしたこともあった。その影響で芝居に興味を持つ。

当時はテレビゲームもなかったため、基本、外で遊ぶしかない感じで、放課後は公園に集合して遊んでいた。

一番最初に舞台を見に連れていってもらったのは小学4年生の時、渡辺えり子座長の劇団3○○の舞台『ゲゲゲのげ』。それを見て感銘を受けて、学校の演劇クラブに所属していた。

声優・俳優になるきっかけ

関曰く役者を目指し始めたきっかけを覚えていないが、人前で何かをやることには興味があり、江東区立数矢小学校時代では寸劇を作ったりしていたという。当時は『仮面ライダー』のマスクを作り、仮面ライダーショーのまねごとのような感じだったという。主役のライダー役を演じておらず、好きだから、適していないが、主役を演じるというのが、嫌だったという。クラスで一番運動神経が良かった友人を班にスカウトして、ライダー役を演じてくれたという。怪人役がオイシイということも、分かっており、「けっこう演技力が必要な役だなあ……」と漠然と考えながら怪人役を演じていたという。小学校4、5年生くらいに友人が「お前、頭デカいな!」と言ってきて人前に出ることが恥ずかしくなった。

そのころ、舞台や映画を見る機会が多く、役者になりたいという思いを持っていた。

声優を意識したきっかけも覚えておらず、「誰かが声をやっているんだろうな」くらいだったという。子供のころは、アニメブームで声優がフィーチャーされたことがあまりなかったこともあり、漠然と意識していた感じだったという。

小学校2、3年のころ、文化放送で放送し、田中真弓、島津冴子、三ツ矢雄二が出演していたラジオ番組『アニメトピア』を夜中に聴いていた。

その田中に会うと行動に出て、当時、田中と島津が出演していたNHKの『小学4年生理科』でNHKに直接電話をかけて「スタジオ見学させてください!」と頼み、許可を得て、スタジオに呼んでもらっていた。2人がアフレコしていた現場を見学し、サインをもらったという。


 

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