お得な公演チケットサイト Confetti(カンフェティ)

facebok公式ページへ Twitter公式アカウントへ LINE公式アカウントへ
カンフェティでチケットを買うとフェイスシールドもれなくプレゼント!

林家正蔵



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

林家 正蔵(はやしや しょうぞう、旧字体は林家正藏)は、江戸・東京の落語家の名跡。当代は9代目。

1811年(文化8年)初代から4代目までは林屋正藏、1888年(明治21年)5代目から林家正蔵となった。江戸(東京)・林家の留め名(止め名)。

  • 代外林屋正蔵 - 後の向南亭扇橘
  • 3代目林屋正藏 - 後の2代目柳亭左楽
  • 8代目林家正蔵 - 後の林家彦六
  • 9代目林家正蔵 - 当該項目で記述。

初代

1781年和泉町新道の生まれ。俗称を下総屋正蔵。札差峰村に奉公した後に1806年に初代三笑亭可楽の門下で楽我を名乗る。林家の始祖。怪談噺の元祖と言われ、「怪談の正藏」の異名を取った。4代目鶴屋南北と交遊し、『東海道四谷怪談』に影響を受けた。三笑亭可龍、三笑亭笑三、林屋正三を名乗り、1811年ころに正藏から2代目鹿野武左衛門、林正、再度正藏、1835年に林泉、再三正藏になり晩年正藏坊となった。著作も、『升おとし』『太鼓の林』など多数ある。また西両国に林屋という寄席を経営。なお、始めは「林家」ではなく「林屋」と名乗っていた。林屋の屋号の由来は、「噺家」と音を合わせたことに由来。俳名、林屋林泉。

天保13年6月5日(1842年7月12日)(諸説あり2月6日とも)没。享年62。墓所は台東区慶養寺。

エピソードとして、当時では珍しく火葬をし、燃やした時に棺桶に仕込んであった花火が上がって、参列者を驚かせたという話が伝わっている。

弟子に正八(のちの初代人情亭錦紅)、林正(のちの2代目正蔵(「沢善正蔵」))、正助(のちの正月庵林蔵)、正太郎(のちの2代目鈴々舎馬風)、3代目正蔵(のちの2代目柳亭左楽)、春好(のちの花枝房圓馬)、初代花林花鏡(のちの花林郷の輔)らがいた。

2代目

2代目林屋正藏 - 元千住焼き場の僧侶。通称「沢善正蔵」(※「沢善」の表記は諸説あり)。「蒟蒻問答」「野晒し」の作者といわれる。母が初代正蔵の後妻となり養子になる。初名を林正、1839年に2代目正藏を襲名。弟弟子・林家林蔵門下の林家正三が上方に移り、上方・林家を興す(ただし、6代目林家正楽で途絶える)。俗称を「朝蔵」。

4代目

4代目林屋正藏 - 本名も林屋正蔵に改名。元は役者で市川東次(中村藤次とも)、のちに2代目正蔵の門下で初名不明、上蔵、正楽を経て、1865年ごろに4代目正藏を襲名。一時二木屋正藏。1878年に正翁と改名。怪談の名手。麻布我善坊に居住したため、通称「我善坊の正藏」「二木屋の正藏」。1879年7月2日没。享年不詳。弟子に一月家?林蔵(のちの橘家圓喬)、正之助(のちの柳亭朝枝「泥棒の朝枝」)らがいた。


 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。