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中尾ミエ

中尾ミエ



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Wikipedia

中尾 ミエ(なかお ミエ、1946年〈昭和21年〉6月6日 - )は、日本の女性歌手、女優。本名は中尾 美禰子(なかお みねこ)。福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。身長156cm。名前は中尾ミヱと表記されていた時期もある。

人物・来歴

6人兄弟。実家は書店を経営していた。

父親が事業に失敗し、1958年に一家で上京、以降は千葉県市川市で育った。福岡学芸大学附属小倉小学校から市川市立真間小学校に転校。精華学園中学校時代に東宝の募集に行くが、背が小さいからダメと渡辺プロダクションを紹介される。しかし、すぐには契約してもらえず毎日通って粘り、平岡精二のバンドに預けられ、代々木のキャンプなどで歌った。当時はスタンダード・ナンバーを歌っていた。

1961年に渡辺プロと契約。園まり・伊東ゆかりらとスパーク3人娘を結成。ザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演し一時代を築く。確かな歌唱力で人気を博し、アメリカンポップス系を得意とする。

16歳にしてリリースしたデビュー曲『可愛いベイビー』が大ヒットし一躍スターの座に。両親のために家を建ててあげたいと夢を持って芸能界へ入ったが、20歳の若さで都内に一軒家を購入し両親へプレゼントした。その後自宅ローンも完済し、25歳になると再度ローンを組んで両親の家の隣へ中尾自身の自宅を建て、2023年現在もその家を建て替えずに何度も内外装リフォームしながら生活している。60歳からは自宅の隣に自己所有のアパートを建てて経営する大家でもある。

デビュー当時から気の強さと歯に衣着せぬ物言いが好評で、本業以外にも『ミエと良子のおしゃべり泥棒』などのトーク番組の司会を数多く務め、美川憲一に「和田アキ子と口喧嘩すれば中尾が勝つ」と言わしめる程であった。『新春かくし芸大会』では和田と毒舌漫才を演じ、前川清がどつかれ専門で出演するという演目を演じたこともある。和田のことは『5時に夢中!』内などで「何でみんな和田アキ子を怖がるの?(笑)」と語っているが、和田もデビュー当時、ある先輩から酷いいじめにあっており「先輩のミエちゃんといしだあゆみちゃんにはかばってもらったり助けてもらった」と度々語っているように、中尾やいしだに対して今でも頭が上がらない。なお、この3人は2017年に『ボクらの時代』で共演。2018年には中尾と和田のコンビで『徹子の部屋』にも出演した。

また「梓みちよとはデビュー当時、下宿先でもあった渡辺晋社長の自宅で取っ組み合いのケンカをよくしていた」と語ったことがある(梓自身も「当時から中尾とは仲は良くなかったが、互いに良きライバルでもあり歌手としての実力や才能を認めている」と語っている)。伊東や園が毎回2人のケンカの仲裁に入っていたというが、伊東も「デビュー当時からお互いに気が強かったので私もミエさんとはしょっちゅうケンカしていた(笑)」とインタビューで語っている。その梓が2020年1月29日に逝去した報道の後、中尾は「びっくりしました。私の天敵と言われたみちよちゃんですが、いなくなるとやはりさみしいですね」と追悼コメントを発表した。

70代の現在も女優として映画やドラマに多数出演している一方で、各種トーク番組へのゲスト出演も多く、歌番組・バラエティ・トーク・ドラマと幅広く活躍。また、園や伊東とスパーク3人娘を再結成し、全国コンサートやディナーショー、チャリティー活動などを行っているが、一個人としても地域と絡んだ社会活動に参画している。

現在も毒舌は健在であるが、初期のイメージはキュートな清純派で、回顧ビデオや映画ソフトの流通などにより、そうした側面も改めて流布するようになってきている。『徹子の部屋』の木原光知子追悼特集時には親友として出演した。黒柳徹子とはデビュー当時から親交があり『徹子の部屋』番組開始当時から定期的にゲスト出演しており、後輩の和田アキ子と一緒に出演経験もある。渡辺プロの先輩でもあったザ・ピーナッツの伊藤エミとは引退後もプライベートでの親交が深く、逝去後には伊藤との思い出話等のコメントに応じた。

深夜番組の大ファン。

2017年8月には、以前から週刊誌等で噂になっていた、自宅で50年の長き間に渡って同居しているパートナーの存在を初めて公のインタビューで語った。

2019年9月18日に、28年ぶりに古巣の後身事務所ワタナベエンターテインメントに復帰。同月には『週刊現代』の企画で73歳にして「最初で最後」としてグラビア姿を公開した。

音楽

シングル

  1. 可愛いベイビー/ダンスへおいで(1962年4月25日)(コニー・フランシスの “Pretty Little Baby” のカヴァー)
    競作。中でも中尾ミエ盤は1962年6月にミュージック・ライフの東京での邦楽売上ランキング1位を記録し、最終的に100万枚を売り上げる大ヒットとなった。今日では曲名は一般的に「可愛いベイビー」と表記されるが、発売当初は「可愛いいベビー」と表記されていた。
  2. ネクタイピンとカフスボタン/アッ・ハァー(1962年6月5日、PV-11)

 

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