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ローラン・プティ

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Wikipedia

ローラン・プティRoland Petit, 1924年1月13日 - 2011年7月10日) は、フランスのバレエダンサー、振付家である。

第二次世界大戦下のパリで振付家としてデビューし、ジャン・コクトーの台本に基づくバレエ『若者と死』(1946年)や、オペラ作品をバレエ化した『カルメン』(1949年)で注目を浴びる。その後、妻のジジ・ジャンメールと共に、ミュージカル映画やレヴューの分野でも活躍した。さらに、1972年から1998年までマルセイユ・バレエ団の芸術監督を務め、多彩なバレエ作品を創作した。同世代のモーリス・ベジャールと並び、20世紀フランスを代表する世界的振付家とみなされている。

生涯

生い立ち

1924年1月13日、パリ郊外のヴィルモンブルに生まれる。父エドモンは地元でカフェを経営していた。母のローズ・レペットはイタリア人で、後にバレエ用品メーカーのレペットを創業する。

プティは幼い頃から、父の経営するカフェで楽団が奏でる音楽に合わせ、客に踊りを披露していた。ダンサーになることを志したプティは、1933年、9歳でパリ・オペラ座バレエ学校に入学する。バレエ学校の同期には、後に妻となるジジ・ジャンメールもいた。

プティは演劇や映画、レヴューを観ることが好きで、バレエを学びながらもタップダンスやフレッド・アステアの物真似を好む子供だった。また、バレエ学校の授業と並行して、学外でボリス・クニアセフらの著名なロシア人バレエ教師にも師事し、影響を受けた。

パリ・オペラ座バレエ時代の活動

1939年に第二次世界大戦が勃発し、翌1940年6月にはパリがドイツによる占領下に入る。オペラ座は一時閉鎖したものの、1940年8月には再開し、占領下においてもドイツ軍や市民に向けて上演を続けた。1940年にバレエ学校を卒業したプティはパリ・オペラ座バレエに入団し、当時オペラ座のバレエマスターであったセルジュ・リファールに師事した。

1942年6月、プティは、オペラ座の女性ダンサー、ジャニーヌ・シャラと共に公演を行う。プティと同い年のシャラは、すでに単独公演を行うほど人気のあるダンサーだったが、相手役の男性を必要としており、プティに声をかけたのだった。公演はシャラとプティが振り付けた小品を中心に構成され、このとき、プティは初の振付作品であるソロ『踏切板の跳躍』を発表している。

その後、プティとシャラは、1943年4月と1944年2月にも共同で公演を行った。この間、プティはシャラの相手役を務めながら認められていき、レヴューなどの要素を取り入れた娯楽性の高いバレエ作品を発表することで、幅広い観客から支持を得るようになった。また、二人の公演には、ジャン・コクトー、マリー・ローランサン、ボリス・コフノら、パリの芸術界を牽引する著名な芸術家たちが美術や衣装として参加し、プティは彼らの協力の下で作品を作ることができた。

バレエ・デ・シャンゼリゼとバレエ・ド・パリ

1944年8月のパリ解放後、プティはパリ・オペラ座バレエを退団する。翌1945年3月には、父親の資金援助を得て「ローラン・プティ」と題した公演を行い、ボリス・コフノ台本による『旅芸人』などを発表した。また、同年6月にパリの若手ダンサーを集めて行われた公演では、ジャック・プレヴェール台本による『ランデヴー』を発表した。『ランデヴー』は、舞台美術にピカソの絵画とブラッサイの写真を用い、当時のパリを舞台に貧しい若者の孤独と死を描いた作品で、戦後間もない社会の閉塞感や不安を表した作品として反響を呼んだ。

これらの作品が評価されたプティは、1945年8月、シャンゼリゼ劇場の提案により、同劇場の専属バレエ団であるバレエ・デ・シャンゼリゼを立ち上げる。バレエ団の芸術監督はボリス・コフノが務め、プティはバレエマスター、振付家兼ダンサーとなった。1946年6月には、プティ振付、ジャン・コクトー台本によるバレエ『若者と死』を発表し、熱狂的な支持を得る。しかし、プティは次第に芸術監督であるコフノと対立するようになり、より自由に活動できる環境を求めて、1947年末にバレエ・デ・シャンゼリゼを退団した。

1948年5月、プティは、新たに自身のバレエ団であるバレエ・ド・パリを結成する。旗揚げ公演では、マーゴ・フォンテインをゲストに迎えて『夜の淑女たち』を上演した。同バレエ団には、バレエ・デ・シャンゼリゼの元団員のほか、パリ・オペラ座を退団していたジジ・ジャンメールも参加した。

1949年2月、バレエ・ド・パリは1幕のバレエ『カルメン』をロンドンで初演し、大成功を収める。カルメン役のジャンメールは、ショートカットの黒髪にタイツという現代的な姿で登場し、プティ演じるホセと、性行為を想起させる官能的なパ・ド・ドゥを踊った。本作は「原作小説への冒涜である」といった非難も浴びたものの、ロンドンで4ヶ月間ものロングランを記録した。


 

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