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勝野洋

勝野洋



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Wikipedia

勝野 洋(かつの ひろし、1949年7月27日 - )は、日本の俳優。熊本県阿蘇郡出身。株式会社ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。妻はキャシー中島。長女は勝野七奈美、次女は勝野雅奈恵、長男は勝野洋輔。

来歴

九州学院高等学校、青山学院大学卒業。劇団雲、劇団昴、三船プロダクション、田中プロモーション、アクターズプロモーション、しまだプロダクションを経て、株式会社ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。

生まれは熊本県阿蘇郡小国町、杖立温泉がある町で、実家は旅館を営んでいた。中学、高校時代は熊本市内で下宿生活、高校卒業後は大学へ進学するために上京。

大学在学中にモデル活動を始め、CMに出演。その際、CMの共演者であった俳優大橋一元の薦めで劇団・現代演劇協会に入団し、役者の道へ進んだ。

芸名はじっくり考える時間が無い中、本名ではシャープなイメージに欠け、「この方がスッキリして響きも良い」と考えて本名から「六」を取り除いて芸名とした。

1974年、『太陽にほえろ!』へのテスト出演を経て、“テキサス刑事”こと「三上順」役に抜擢され、一躍人気者になり、太陽では2年間出演して、38話に主演した。テキサス刑事殉職回は、同ドラマ史上最高視聴率42.5%が記録された。

1976年『俺たちの朝』では主演し、熱血軽妙な好青年を演じきった。

1978年映画『夜が崩れた』で映画デビュー、同年日本テレビの『姿三四郎』に主演した。同年の東宝映画『ブル−クリスマス』は、トップクレジット経験者8人が居並ぶオールスター大作だったが、初の映画主演をつとめた。

時代劇では『柳生あばれ旅』で剣豪・柳生又十郎宗冬を演じたほか、『鬼平犯科帳』では第3シリーズより鬼平FINALまで同心・酒井祐助役を演じていた。

1977年から1986年までは大正製薬『リポビタンD』のCMに起用され、宮内淳(後に渡辺裕之)との名コンビで人気を博した。

人物

  • 身長181cm、体重77kg、血液型はA型。
  • 特技は柔道(三段を取得)、詩吟、乗馬。趣味はスキー。静岡県御殿場市で自然に囲まれた暮らしを営んでいた。
  • 大学在学中のモデル活動では生活費稼ぎが目的であって、元々役者になろうとは考えておらず、一年だけ劇団にいたら大学に戻るつもりでいた。その頃、松田優作演じるジーパン刑事の後任として、大人からも快く受け入れられる若者を探していた岡田晋吉が、劇団「雲」のマネージャーの推薦で会うと、長髪が多い当時の若者とは違って、髪の毛をスポーツ刈りにして清潔に整え誠実そうな勝野を一目で気に入る。勝野は持ち掛けられた『太陽にほえろ!』 の話を断るつもりでいたが、石原裕次郎に会えるということで、記念として太陽にゲスト出演、石原裕次郎に挨拶に行き、『太陽にほえろ!』 に出るしかならない状況になり、出演した。撮影現場では竜雷太に一から指導を受けた。余裕が出てくると露口茂の演技に感銘を受けたという。
  • 『太陽にほえろ!』の新人刑事の殉職劇をファンを招いて上映するイベントが終了し、勝野は一度会場を出たが急に引き返し、置いてあった花束の山を引っ掻き回し始めた。花束を持ってきてくれたファンが、イベントに参加できず、3時間も会場前で待っていたことに気づいた勝野は、その花束を探し出すと、それを持って、さりげなくその花束をくれたファンの前を通り抜けて精一杯の誠意を示した。この時、勝野は何十という花束をもらったが、そのひとつひとつの花束を誰からもらったか覚えていて、岡田晋吉らスタッフを感心させた。
  • 長男・洋輔曰く、昔は鬼軍曹みたいに厳しい人であり、本当に怖かったとの事。このことがきっかけで、後に洋輔は5年間パリに留学することになる。しかし、現在はその面影はなく、当時パリに留学していた洋輔に会いに同地に訪れた際、妻譲りの才能に気づき、今も彼のデザイナーとしての活躍を応援している。

 

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