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堀江一眞

堀江一眞



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Wikipedia

堀江 一眞(ほりえ かずま、1976年7月23日 - )は、日本の男性声優、舞台俳優。本名は堀江 秀尚。東京都出身。アクセント所属。日本芸術専門学校講師。旧芸名は堀江 光(ほりえ ひかる)。本名の堀江 秀尚で活動していた時期もある。

来歴

生い立ち

昔は歌手の母のプロ意識を見ており、子供の頃から歌は、「うかつに手を出しちゃいけない分野だ」と思っていた。小さい頃からピアノ、音楽を叩きこまれていたが、あまりやらされすぎて、幼稚園の頃に嫌いなったという。

昔から映画が好きで、幼い頃から映画を観る家庭環境だった。高校時代に『シンドラーのリスト』を友人と映画館に観に行き、「こんな幸せな時代に生まれた俺たちはもっとできることがある!」と言って男3人で泣きながら帰ったりしていたという。

小学校時代に転校が多く、転校生いじめのようなものに遭っていた。ただし一方的にいじめられる感じではなく、「何だこの野郎、転校は親の事情なんだからしょうがないだろ!」のように、歯向かっていくタイプであった。殴り合いばかりしており、けっこうアグレッシブだったという。小学校高学年の時に他校から転任してきた担任の教師が素敵な人で、その教師のおかげで少しずつ柔らかくなっていた。中学、高校時代では学級委員をやるタイプに変わり、高校進学後は友人も増え、ほんわかした空気を味わえるようになった。

母は学生時代は授業参観に来ておらず、反面教師な部分もあった。そのため、子供の頃は将来就くなら堅い仕事、公務員、サラリーマンなどがいいと思っていたという。

学生時代はスポーツが好きであり、小学校時代はサッカー、中学校時代は野球、高校時代はテニスと部活に一生懸命だった。当時は演劇には触れておらず、アニメも漫画も嫌いではないが、激烈に好きというわけでもなかった。

声優になるまで

高校3年生の秋くらいに受験する学校も決めていたが、クラスメートの女子が階段からの転落事故で死亡。その出来事に衝撃を受け、女子の通夜や葬儀に出ていた時には死ぬのが怖くなり、「人の命は突然終わるんだな」と思い、しばらく悶々としていた。漠然と「生きている自分とは何なのか」を考えて、それまでは「いつか」やりたいことが見つかると思い込んでいたが、「だって、俺も明日死ぬかもしれないぞ」、「いつしかその子が生きられなかった分、自分が精一杯生きることが彼女への最大の供養になるではないか」と思い、自分のやりたいことを探し始めた。

やりたいことはなかったことから、本を読み、進路に関する資料を読んでいくうちに、元々子供と触れ合うことが好きであり、小さい子にも親しまれるタイプだったことを思い出し、学校教師、保育士、声優を思い浮かび、最終的には声優を選ぶ。当初は親も担任の教師も猛反対で、職業としての声優という職業が結びつかなかったんだと語る。

その時に母に「僕、声優をやりたいんだけど」と話をしていた。母も、もう全然話にならないという感じで「お前がショックを受けて、そんなことを言い出した気持ちは分かるけど」と烈火の如く反対していた。その時に「今まで自分は、考えもせず生きてきた。確かにちょっと強引かも知れないけど、このタイミングで自分が動けないと将来に悔いを残すだろうから、大学はもちろん受けるけど、声優の学校もひとつだけ受けさせて欲しい」と言っていた。

大学受験は途中放棄せずに受験すること、母が芝居をしていた時期にお世話になった演出家の中村哮夫が、当時、青二塾で教えており、母が偶然戸田恵子とも共演したことがあり、戸田も当時は青二プロダクションに所属していたため、「青二塾だったらいい」と言われた。「青二塾がダメだったら、もう一回大学行きながら考えなさい」と言われたが、青二塾を受けることを許してくれただけでも嬉しかったという。大学と平行して青二塾を受けさせてもらったが、受験勉強に励んでいた大学は全部すべり、準備していなかった青二塾だけ合格した。

母からは「お前わざとじゃないだろうね?」と言われたが、両方本気でしていたところそういう結果になったため、「それでは晴れて声優への道まっしぐら!」とならなかったが、両親共から再度大学受験を促され、当時は死ぬ気でチャレンジモードに入る。その時に「もし可能ならば是非大学も受験させて欲しい!」ということで、俳優養成所生活と浪人生活の二重生活を始める。しかしあくまでも母の希望は大学と声優の養成所の両立であり、母も大学卒業後に歌手活動をしていたことから、「目標があるなら両立できるくらいのパワーがなければ、お前のやる気なんてウソだ」と言われた。それを聞いてカーッとなるタイプなため、平日の5日間は青二塾に通い、週1回は予備校に行って、日曜日に模試を受けるという休みなしの生活をしていた。

東京都立青山高等学校卒業後、青二プロダクションの附属俳優養成所青二塾に在籍し、俳優、声優としての研鑽を積む。青二塾での同期に野島健児、保村真、前田愛がいる。

青二塾時代は終えても家に帰って勉強しなくてはならず、前述のクラスメートの死を引き摺ってもいたため、青二塾の同期からは「相当付き合いが悪い、暗いヤツだ」と思われていた。「一生懸命、今出来ることをストイックにやらなくちゃいけないんだ」といった思い込みのある、ヘンに硬派な子だったという。

青二塾時代は少し不良っぽいところがあり、ケチョンケチョンに言われるようになり、メチャクチャ怒られていた。当時は青二塾も相当厳しく、そういった面は自分も覚悟していた。時に非常に理不尽な叱りを受けていたところ、先生と生徒だという前に、男としての闘争本能が沸き上がってきた。その時に口では逆らわなくても、「おい、この野郎」と目で睨んでしまい、皆はおとなしく先生の言うことを頭を下げて黙って聞いていたが、堀江は突っ立ってぼーっとしていた。先生は「なかなか骨のあるヤツだ」と思っていた様子だったが、周囲からは浮いてしまい、熱心な生徒だったとは思うが、個性のほうが立ってしまった。周囲の生徒からは、普段は暗いがいざとなると堂々と反論してしまうため、「先生相手でも態度変わらないもんな……こいつが絡むとなんか大変だ」と思われていたようである。


 

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