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久石譲

久石譲



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Wikipedia

久石 譲(ひさいし じょう、Joe Hisaishi、本名:藤澤 守〈ふじさわ まもる〉、1950年〈昭和25年〉12月6日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト。歌手の麻衣は長女。

概要

長野県中野市出身。長野県須坂高等学校、国立音楽大学作曲科卒業。久石譲の名は、大学在学中に友人と話し合った結果、当時活躍していたクインシー・ジョーンズの名前をもじり漢字に当てたものに由来する。

映画音楽を中心に手掛ける。特に宮崎駿監督作品においては、『風の谷のナウシカ』以降、『君たちはどう生きるか』まで39年間すべての長編アニメーション映画の音楽を手掛け、その長年に亙るパートナーシップは、ヒッチコックとバーナード・ハーマン、セルジオ・レオーネとモリコーネ、そしてスピルバーグとジョン・ウィリアムズの関係などに例えられる。また、北野武監督作品においても、『あの夏、いちばん静かな海。』から『Dolls』までの7作品の音楽を手掛けている。

ソロ活動も行っており、多数のソロアルバムをリリースしている。これらのアルバムでは、指揮・演奏・プロデュースも手掛け、ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立している。また、一部の楽曲では、自らボーカルを担当している。

来歴

生い立ち - 活動初期

4歳の時から鈴木鎮一ヴァイオリン教室でヴァイオリンを習い始める。幼少の頃より高校教師の父(補導の担当場所が映画館だった)に連れられて、年間約300本の映画を4年続けて見ており、そのことが自身の仕事に強く影響を与えているとのちに語っている。

中学ではブラスバンド部に所属しトランペットを担当。この際、演奏よりも部活用の譜面を書いて周囲に聴いてもらえる方が嬉しいと思ったことから作曲家を志すようになる。高校在学中、幌村隆に師事し和声や対位法などの音楽理論を学ぶ。また、月2回東京に通い島岡譲のレッスンを受けた。

国立音楽大学作曲科で引き続き島岡に師事。在学中よりコンサートの楽曲提供・プロデュースを行う。20歳の時にミニマル・ミュージックに出会い影響を受け、現代音楽の作曲家として活動を開始する。また、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスら代表的なミニマル・ミュージックの作曲家や、武満徹、三善晃ら日本の作曲家の楽曲分析を始める。

卒業後もアンサンブルグループを結成してコンサート活動を行う。その傍ら、1974年にテレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』の音楽を担当(当時は本名である藤沢守名義)。これが実質的な商業デビュー作となる。

1975年には日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートのために、数々の映画音楽をオーケストラ用に編曲した。1978年からは『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』の吹奏楽編曲を長らく手掛けた。20代は主にこうした仕事で生活の糧を得ながら自身の作品制作を行っていた。

1981年、10年間のミニマル・ミュージックの成果として、全曲作曲とプロデュースを手掛けたアルバム『MKWAJU』(ムクワジュ・アンサンブルに提供)が、日本コロムビアのBETTER DAYSレーベルよりリリース。同年に音楽を担当した舞台『近代能楽集』と共に、日本のミニマル・ミュージックの先駆的作品となる。

その後、ポップスに活動の場を移し、1982年に自身の事務所となる「ワンダーシティ」を設立(代表取締役は妻の藤澤文女)。同年にファーストアルバム『INFORMATION』(ワンダーシティ・オーケストラ名義)をリリースし、ソロアーティストとしての活動を開始する。

『風の谷のナウシカ』- 1990年代

1984年、宮崎駿監督による長編アニメーション映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当。この作品の音楽は当初、細野晴臣が手掛ける予定だったが、映画のイメージと合わないということと、久石が公開前年の1983年に手掛けた漫画版のイメージアルバムを気に入ったという理由から、宮崎とプロデューサーの高畑勲が細野の採用を取りやめ、久石が本編の音楽にも起用された。それまで有名ではなかった久石が、このことによって一躍脚光を浴びることになる。この際の経緯は高畑の著書『映画を作りながら考えたこと 1955〜1991』に記されている。


 

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