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ワッキー(本名:脇田 寧人(わきた やすひと)、1972年7月5日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビペナルティのボケ担当。相方はヒデ。一部では"カゴマン"と言われている。北海道釧路市出身(公称)。船橋市立船橋高等学校卒業、専修大学経済学部中退。吉本興業所属。身長178cm 体重68kg。血液型はB型。左利き。
父方の祖母の実家が北海道釧路管内の川上郡標茶町磯分内の脇田商店であり、親戚一同足が速いのが近所の自慢であった。
父親の仕事の都合で19回南アフリカ共和国に渡り、そのうち中学1年生 - 中学2年生の冬まで、北海道釧路市で育つ。そのとき在籍していたのが、釧路市立東中学校(現:幣舞中学校)である。当時はサッカー部で活動していた。
高校は船橋市立船橋高等学校(市船)に進学し強豪のサッカー部に入部。布啓一郎監督の下で厳しい練習に明け暮れ、あまりの厳しさに合宿所から夜逃げする者もいたほどだったが 、この練習を耐えた部員達は試合前に「やってきたことが他とは違う」と仲間で言い合い士気を高めていたという。
専修大学経済学部に入学後もサッカー部に所属し、プロサッカー選手を目指して精進していたが、膝を壊したことでプロへの夢を諦めることになった。この怪我で自身の将来を悲観したワッキーはサッカー部の合宿所を秘かに脱走し、大学も中退することとなった。
その後、日本のタイ料理店等でアルバイトをしていた。タイ料理店で一緒に働いていた一回り上のタイ人女性ワーさんが帰国する。彼女を追ってタイへ行きタイ語もマスターしたが、バンコクでフラれて途方に暮れて裸足でさまよっていた。
紆余曲折した後、日本に帰国。専修大学の寮を訪ねた時に、先輩である中川秀樹(ヒデ)に誘われる形で1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成。同期にはロンドンブーツ1号2号などがいる。ヒデの方が1学年上である。
2007年、2歳年下の一般人女性と結婚。入籍直前にテレビ朝日『ロンドンハーツ』のスペシャル番組中(生放送)にて、相方ヒデとロンドンブーツ1号2号により子細を世間に暴露されるというコーナーが放送された 。2008年に第一子が誕生。
2012年11月、40歳でNHK『地球イチバン』の企画で参加した「サハラ砂漠レース(SAHARA RACE)」 7日間約250kmを完走。
2020年6月7日、初期の中咽頭がん(ステージ1)と診断され一時休養することを公表。8日から入院し、放射線治療を受ける。8月5日、退院。
2021年2月14日、公式YouTubeで仕事復帰したが、5月3日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話SP』(日本テレビ)にVTR出演し、以後の仕事をセーブする方針であることを明らかにした。
ペナルティのコントネタでは濃いキャラクターを演じる。体毛の濃さをネタにしたり 、オリジナルの歌を歌ったりすることも多い。
テレビなどでは一発ギャグを主に披露するがスベることも多い。渾名の命名者として知られる有吉弘行につけられた渾名は「クソすべり芸人 」。ギャグのレパートリーとしては「男性ホルモン受信中」、「お化けの救急車」(他の芸人も乗っかる)、「芝刈り機」、「一、二行進」、「半分マン」 などがある。ネタ中に野口五郎のモノマネをやることがある 。野口のモノマネをする時はほぼ毎回「私鉄沿線」を歌う。コロッケのように、鼻くそをほじりながらモノマネをすることもある。
「芝刈り機」のギャグに関しては元サッカースペイン代表のラウル・ゴンサレスが、2009年4月にスペインのテレビ番組で「人生で一番可笑しかったことは?」との問いに「ジャパンツアーに行ったときに日本のテレビに出演して、そこで日本人のコメディアンがやった芝刈り機のものまね」と答えている。これはフジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』の「やべっち寿司」にてワッキーが披露したものである。また、この時にラウルと一緒に番組に出演していたフェルナンド・モリエンテスも、「芝刈り機」のギャグを「すごく面白かった」と語っている。そのワッキーはヒデ、マネージャーと移動している際に二人と遭遇し、大ファンである二人と握手している際には跪いてしまうほど感激していた。
なおワッキーは自分の芸風について