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SING LIKE TALKING



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Wikipedia

Sing Like Talking (シングライクトーキング)は、日本のロックバンド。佐藤竹善と藤田千章のソングライターチームを中心として1985年に結成。1987年に今のメンバー構成になり、1988年にデビュー。

概要

1988年デビュー。デビュー当初は鳴かず飛ばずだったが、地道にライブを重ね、佐藤竹善のラジオDJでの洋楽の伝道師ぶりやユニークな雑誌連載などで徐々にファン層を拡大し、1993年・1994年にアルバム『ENCOUNTER』、『TOGETHERNESS』でオリコン初登場1位を獲得。2000年代後半に長い休止期間があったものの、2018年にデビュー30周年を迎えた。長寿バンドとして特異なのは大きなシングルヒットを経験していないことであり、最大ヒットである1995年の「Spirit Of Love」は8万枚の売上を記録したのみ。

1990年代は、ロッド・アントゥーン(『III』〜『ENCOUNTER』)、キャット・グレイ(『togetherness』〜『Welcome To Another World』)をプロデューサーに迎え、ソウル・ファンク・ジャズ・ラテン・フュージョンなどの様々な音楽を貪欲に取り込んだ。日本のみならず世界の名だたるスタジオ・ミュージシャンを迎えている。

なお、多くの曲で作詞・作曲クレジットが佐藤竹善と藤田千章の共作になっているが、これは特にレノン=マッカートニーにならったものではなく、竹善がデモテープを作る際に曲にラフな英語を付けたものを千章に提出し、それを元に千章が非常に独特な歌詞を描くというスタイルを取っているためである。

現在まで13枚のオリジナルアルバムを発表。ベストアルバム、コンピレーションアルバムを加えた総売上枚数は350万枚を超える。

メンバー

  • 佐藤竹善(さとう ちくぜん、1963年5月5日 -) ボーカル、キーボード、ギター、作詞、作曲。神奈川大学法学部中退。
  • 藤田千章(ふじた ちあき、1963年12月26日 -) シンセサイザー、バッキングボーカル、作詞、作曲。
ソロ活動として『サモンナイトシリーズ』のゲーム音楽を手掛けている。明治学院大学卒業。
  • 西村智彦(にしむら ともひこ、1964年1月25日 -)ギター、バッキングボーカル、作曲。武蔵野音楽学院卒。
ソロ活動として他ミュージシャンのバッキングなど。

元メンバー

  • 阿部鼓太郎(ベース)
  • 佐藤誠吾(ドラムス)
グループを離れた後もセッションドラマーとしてSing Like Talkingのレコーディングに参加しており、「My Desire」などでドラムスを担当した他、西村智彦のソロアルバム「Graffiti」(1998年)にも参加している。並行してスタジオミュージシャンとしても活動していたが、父親の病気をきっかけに地元の北海道に帰郷し、実家である建設会社を継いだ。その後、会社経営の傍ら音楽活動を再開している。
  • 佐藤達郎(プログラミング)
後に「Dancin' With Your Lies-I'm Hot Version-」でスクラッチを担当。現在、EXILEスタッフ。

経歴

「514バンド」を前身として、1985年末に東京都で結成。結成当時のメンバーは佐藤竹善、藤田千章、西村智彦、阿部鼓太郎、佐藤誠吾、佐藤達郎。

当初はバンド名は決まっていなかったが、翌1986年に「ヤングジャンプ・サウンド・コンテスト '86」にエントリーする際に、佐藤竹善が「Sing Like Talking」と暫定的に命名。この風変わりな名前は、佐藤が偶然見て印象に残っていた李麗仙のテレビインタビューに出たテロップ「彼女の演技は歌うように語り、語るように歌う」に由来している。なお、後に設立したファンクラブの名前は「Talk Like Singing」である。

1986年12月に、日本青年館で行われた同コンテストの全国大会で「TRY AND TRY AGAIN」を演奏し、グランプリを獲得。審査員の一人でファンハウスのプロデューサー武藤敏史に見い出されて、翌1987年1月にファンハウスと契約。武藤の指導で、他ミュージシャンへの楽曲提供、コーラス参加などの修行期間に入る。同年末、デビューアルバムのレコーディングを始める直前に、阿部鼓太郎、佐藤誠吾、佐藤達郎が「SLTの音楽性からみて、作家陣と歌い手以外はスタジオミュージシャンで制作してはどうか」というレコード会社の判断によりメンバーから離脱。当初レコード会社は西村智彦も外すつもりで動いていたが、佐藤竹善と藤田千章による「西村のギターは絶対に必要だ」という必死の説得により留まる。

1年弱を要したレコーディングの後、1988年9月30日にファンハウスからシングル「Dancin' With Your Lies」でデビュー。同年11月1日発売のデビューアルバム『TRY AND TRY AGAIN』のCD帯にはレコーディングの際に知己を得たミックスエンジニアのミック・グゾウスキーによる「英語で歌えばグラミー賞が取れる」という趣旨の推薦文、更にはミックの仲介でSLTを聴くことになったTOTOのドラマー、ジェフ・ポーカロによる「日本にこんな凄いバンドが現れるとは思わなかった、是非一緒にライブをやりたい」といった趣旨の推薦文が載り、実際に「デビューライブ」2daysの2日間にTOTOのジェフ・ポーカロ(ドラムス)、ネイザン・イースト(ベース)がサポート・ミュージシャンとして参加した。しかし、観客のほとんどがTOTOファンという事態になり、逆に「完全アウェー」の気分だったという。なお、このデビューライブで演奏したスティーヴィー・ワンダーのカバー、「STAY GOLD」が後にベストアルバムの『REUNION』に収録されている。

1992年のジェフ・ポーカロの急死の際には、追悼シングル「My Desire 〜冬を越えて〜」を急遽リリースしている。

1996年4月1日に初の日本武道館公演を行い、その際にはDIMENSION、ティポグラフィカ、空と海と風と…などの日本屈指のフュージョン系ミュージシャンが大挙サポートで参加している。このライブは後にビデオ、DVD『Amusement Pocket at 日本武道館 4.1.1996』として発売されている。


 

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