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渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年1月24日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、コメディアン。
多くの芸能人やファンたちからはリーダー、明石家さんまや島田紳助・山田邦子など同年代の芸能人からはナベ(さん、ちゃん)と呼ばれている。
個人事務所・なべや所属(石井光三オフィスからの暖簾分け)で、ホリプロコムとマネジメント提携している。
千葉県いすみ市出身。夷隅町立(現:いすみ市立)国吉中学校、千葉県立大多喜高等学校、明治大学経営学部卒業。大学時代は落語研究会に所属し、同会に受け継がれた名跡である「紫紺亭志い朝」(6代目)を5代目だった立川志の輔から受け継いだ。
大学在学中の1977年、劇団テアトル・エコー養成所に入所し、一級上のラサール石井、同期の小宮孝泰と共にコントグループ「コント赤信号」を結成。「赤信号」のリーダーとして活躍した。1980年に関西テレビ制作の『花王名人劇場』でテレビデビューし、暴走族コントなどで人気を博す。
1988年から1996年まで日本テレビ系列で放送されたクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で、逸見政孝や福澤朗を補佐するサブ司会者を務めた。逸見を立てつつ場を盛り上げる司会ぶりが高く評価され、1990年代には多くのテレビ番組でサブ司会者として起用される。業界内外で「芸能界のスーパーサブ」の異名をとった。
1999年9月に18歳年下の一般人女性と結婚し、翌2000年1月24日に長女が誕生。
若手お笑い芸人の育成にも積極的で、1986年から「ラ・ママ新人コント大会」を主宰している。同大会は所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで、過去にはウッチャンナンチャンを筆頭にダチョウ倶楽部、爆笑問題、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)ら、のちに名声を博すことになるお笑い芸人たちも多数出演していた。このほか、若手お笑い芸人の登竜門とされてきたNHK新人お笑い大賞でも2014年から審査員を務めている。
吉本興業が主催する漫才コンクール「M-1グランプリ」では2005年・2006年・2008年・2009年・2010年・2017年大会の決勝戦で審査員を務めた。このほか、吉本興業が主催するピン芸コンクール「R-1ぐらんぷり」の2004年・2019年大会や、吉本興業が主催する漫才コンクール「THE MANZAI」の2011年・2014年大会、「G-1グランプリ2022」でも決勝戦の審査員を務めた。
2005年からは「伊東四朗一座」及び「熱海五郎一座」の舞台公演にレギュラーメンバーとして参加し、明治大学落語研究会の先輩でもある三宅裕司とともに東京喜劇の継承と発展に取り組んでいる。