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速水けんたろう

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Wikipedia

速水 けんたろう(はやみ けんたろう、1962年1月2日 - )は、日本の歌手、俳優、声優。81プロデュース所属。旧芸名は谷本 憲彦(たにもと のりひこ)、本名は谷本 敦雄(たにもと あつお)。

広島県福山市出身、尾道市育ち。身長177cm、体重65kg。血液型はA型。大阪電気通信大学工学部卒業。既婚。NHK教育テレビの子供番組『おかあさんといっしょ』の8代目うたのおにいさんとして知られている。現在、81アクターズスクールの研修生講師、2016年からは洗足学園音楽大学音楽学部声優アニメソングコースの講師を務めている。

略歴

1962年(昭和37年)1月2日、広島県福山市に生まれる。

1985年(昭和60年)、「ビクターVHD全国縦断カラオケ大会」で優勝した。

1986年(昭和61年)に、ビクターレコードより谷本憲彦の芸名で、若手ムード歌謡歌手としてデビュー。2作目の「なぐさめ」は同年急逝した和田浩治のカバーである。また、この年には第7回古賀政男記念音楽大賞入賞。

1989年(平成元年)、アニメソング歌手へ転向。渋みのある歌声から一転し、爽やかさを前面に出した歌唱となる。

1993年(平成5年)4月に、当時NHK総合テレビとNHK教育テレビで放送していた『おかあさんといっしょ』の8代目うたのおにいさんに就任。うたのおにいさん就任と同時に、芸名を『速水けんたろう』に改名。共演のうたのおねえさんは17代目の茂森あゆみ、たいそうのおにいさんは10代目の佐藤弘道、身体表現のおねえさんは最初の1年間は初代の馮智英、以降の5年間は2代目の松野ちか。

1999年(平成11年)1月、番組内で茂森あゆみと「だんご3兄弟」を歌唱し、同曲が「おかあさんといっしょ」初出の曲としては異例の大ヒットとなる。この年のユーキャン新語・流行語大賞を受賞。同年2月には自身が作詞・作曲した「あつまれ!笑顔」を番組に提供(編曲 池毅)。そして、同年4月3日をもって番組を卒業。うたのおにいさん在任期間は6年間。うたのおにいさん就任後は合間を縫って番組とは別に、全国各地でソロでのファミリーコンサートを行い、番組卒業以降も継続してコンサートを開いている。その一方で、後述の通りうたのおにいさんになる前からのアニメソング歌手としての活動も並行して行っていた。なお、速水の退任後に就任した歴代うたのおにいさん・おねえさんは、活動が『おかあさんといっしょ』以外原則認められていないため、番組出演中に番組とは別に個人での芸能活動を並行していた出演者は速水が最後である。 

うたのおにいさんを退任後、茂森と共に1999年12月に、年末の第41回日本レコード大賞および第50回NHK紅白歌合戦へ出場を果たした。

1999年(平成11年)10月から2004年(平成16年)3月までキッズステーションや全国独立放送協議会で放送された『けんたろうとミクのワイワイキッズ』に出演し、羽生未来(元「英語であそぼ」のお姉さん)と共にMCを担当。この番組では子供向けの歌だけでなく、J-POPやアメリカのポピュラー楽曲などを作曲家の野村義男や、鶴由雄がアレンジしたものも歌い、自身が作詞・作曲を手掛けた歌も提供していた。また、時期を同じくしてキッズステーションでは自身初の単独冠番組『速水けんたろうのFan!Fan!Fan!』(2000〜2001)が放送された。

また、2000年代以降は舞台俳優としても活躍している。2010年(平成22年)には劇団わらび座ミュージカル「アトム」の東京公演、兵庫公演に客演し、「うたのおにいさん」のイメージとは違う存在感のある悪役を演じた。この他、現在の所属事務所が声優のマネジメントを主とする81プロデュース(当初は声のみ預かりの扱いだったが、現在は正式な所属俳優となっている)であることから、後述の活動休止以前には声優としての活動も行っていた。2012年の活動再開後しばらくは、メディア露出が少なかったため声優業も行っていなかったが、2015年5月のおかあさんといっしょファミリーコンサート『じゃがいも星人にあいたいな』でのダン役、および同年6月公開の映画『あなたをずっとあいしてる』のプテラノドン役で声優活動も再開している。

2011年(平成23年)7月16日午後1時15分ごろ、自らの運転で埼玉県さいたま市内の仕事場へ向かう途中、川越市通町の交差点内で横断歩道を歩行中の78歳の女性をはね、その女性は翌17日午前0時50分ごろ死亡した。警察の取り調べに対し、速水は「助手席の荷物に気をとられて脇見をしていた」と供述した。その後7月19日付の自身のブログにて、自らの起こした事故を深く反省すると同時に今後は一切の仕事を自粛する旨を記載した(その後、当時のブログの記事は全て削除された)。11月30日、さいたま地検は自動車運転過失致死罪でさいたま地裁川越支部に在宅起訴した。

2012年(平成24年)2月22日、さいたま地裁川越支部は、「女性は最愛の夫に別れの言葉一つかけることもできず絶命し、無念さは察するに余りある」としながらも、「(速水は)遺族に謝罪の意を示し、芸能活動を控えるなどして謹慎の態度をとっている」として、禁錮2年6か月の求刑に対し、禁錮2年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。なお、この裁判を担当した裁判官は、判決言い渡しの後、被害者の遺族が速水の復帰を望んでいることを速水に伝え、「今後は仕事に復帰して一層精進し、聞き手に感動を与えるように」と語ったが、速水本人は「執行猶予中は自分ですべきことをしていきたい」としながらも「(復帰については)今は考えられない」とコメントした。

2012年(平成24年)4月14日、東京都内で行われた岩手県陸前高田市復興支援団体TAKATA-FESTAが企画するチャリティーイベント、TAKATA FESTA 2012 in ITABASHIに特別出演し、再始動を果たす。これは同イベントに参加した永島美織のブログやもりちよこのツイッターでも紹介された。以降、主にイベント・舞台への出演を中心に活動を再開。その後、2012年(平成24年)夏、音楽制作会社 「有限会社リバーライズ」 のプロデュースで本格的に音楽活動も再開(所属事務所は引き続き81プロデュースのまま)。同年9月に岩手県陸前高田市復興支援ソング「未来のためのもの」をCDリリース。同年冬からミュージシャンの青木政憲とともに、「歌う紙芝居」の活動を行っている。

2012年(平成24年)9月に、東京都江東区のコミュニティFM局レインボータウンエフエム放送の「上を向いて歩こう!」という番組に作詞家の藤公之介とともに出演した。この中で、活動自粛中の間に藤が主催する『命歌』のライブに参加して、自分に何ができるのかを考え、この活動に賛同し参加していくことを決めたことを語っている。


 

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