CLOSE

CLOSE

ジャンル別公演チケット

エリア別公演チケット

条件別公演チケット

HOME > 田中真弓

田中真弓

田中真弓



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

田中 真弓(たなか まゆみ、1955年〈昭和30年〉1月15日 - )は、日本の声優、女優、ナレーター。日本芸術専門学校特別講師。本名:阿部 真弓(あべ まゆみ)。東京都渋谷区代々木上原、杉並区浜田山出身。青二プロダクション所属。

来歴

生い立ち

東京都渋谷区代々木上原に誕生する。父が新聞記者だったことから、転勤で2歳ごろに大阪府へ移住。後に東京へと戻り、杉並区浜田山で育つ。東京都立杉並高等学校、青山学院女子短期大学卒業。

幼少期から目立ちたがりで、歌うのが好きであり、将来は歌手を志望していた。学生時代には演劇にも打ち込み、学芸祭のクラス公演などで演劇を行っていたのをきっかけとして、舞台女優として身を立てる決意を固める。小学校には演劇クラブはなかったが、学芸会の花形であり、田中自身が演目を積極的に提案していた。また小学校時代には「自分には才能があるし、役者は天職だ」と作文にも記したという。

中学、高校、短期大学時代は演劇部に所属していた。当時は娘役が他に多数いたことから、お婆さんと少年役が多かった。中学時代は俳優座が好きであり、卒業後は桐朋学園芸術短期大学演劇科を志望していた。同芸術短期大学演劇科は中学、高校、短期大学時代と受験したが、いずれも不合格だった。

女優としての活動の場を求めて、文学座、青年座などに応募するも全て不合格だった。落選の理由として「あなたは背が低いし、小顔で、全てが小作りで舞台栄えしない。妖精や子供など、役柄が限られてしまうから」と告げられ、当時は非常に落ち込んだと述懐している。竹内演劇研究所の一期生募集のオーディションも受けたが、田中以外の全員が合格するという結果となった。入学金を支払えば入れるという、客状態でも活動できるといった形態の養成所だったが、田中だけが落選したという。このことで、当時はもう人間やめろと告げられたように感じ、深く落胆したという。フジテレビのアナウンサー試験にも応募し、最終選考の5名まで残ったものの内定には至らなかった。

キャリア

作曲家の鈴木邦彦の下で歌のレッスンを受けていた時期もあった。ある日、渋谷にあるバーの前で歌手募集の広告を見つけ、そのバーでいわゆるハコバンのシンガーとして唄うことになる。後日、バーに来たテアトル・エコーの音響スタッフに「うちの劇団なんか合っているんじゃないかな、チビばっかりですよ」と斡旋され、テアトルの付属養成所の試験を受けて合格する。23歳の時に同養成所に入所し、短大卒業後はテアトル・エコーに所属することとなった。

声優として駆け出しの時期だった1978年には、田宮二郎の遺作となった『白い巨塔』の第2回に、財前五郎の講義を受ける医学生役と里見医院の看護婦役で出演している。

以前はNPSテアトル、アーツビジョン、大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属していた。

1978年に『激走!ルーベンカイザー』の高木涼子役で声優デビュー。同年には刑事ドラマ『Gメン'75』の「香港ロケ編」で、事件解決に協力する香港の難民少年役をアテレコで演じた。

1980年代には、島津冴子とラジオ番組『アニメトピア』に2代目パーソナリティーとして出演、少し後に『さすがの猿飛』に揃って出演した。1983年から長期にわたり、『うる星やつら』で女性でありながら格好も言葉遣いも少年の姿の藤波竜之介役を演じたことで大きく知名度を上げた。

1984年に三ツ矢雄二とプロジェクト・レヴューを設立。

2006年には、CD企画『外道女王』(原作:伊豆一彦、脚本:伊藤良徳)にて主役を担当した。


 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。