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パンクブーブー



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Wikipedia

パンクブーブー (Punk Booboo) は日本のお笑いコンビ。吉本興業東京本社所属。M-1グランプリ2009、THE MANZAI 2011優勝者。通称は「パンブー」。

メンバー

佐藤 哲夫(さとう てつお、 (1976-04-03) 1976年4月3日(44歳) - )

大分県大分市 出身。ボケ、ネタ作り担当、立ち位置は左。身長174cm、AB型。大分県立大分豊府高等学校卒。

黒瀬 純(くろせ じゅん、 (1975-05-08) 1975年5月8日(45歳) - )

福岡県糟屋郡篠栗町出身。ツッコミ担当、立ち位置は右。身長163cm(一時期サバを読んでいたため、福岡吉本時代のプロフィールでは166cmとなっている)、O型。

来歴

福岡吉本時代

メンバーは元々吉本興業福岡事務所(現・吉本興業福岡支社 以下「福岡吉本」と記述する)に所属し福岡での活動を経て上京、東京吉本の所属となる。

佐藤は6期生、黒瀬は8期生として福岡吉本でデビュー。佐藤は約6年間、黒瀬は約4年間福岡吉本に在籍していた。当時、佐藤は赤峯康一とコンビ「モンスターズ」を組み、Hi-Ho!などのテレビ番組に出演していた。黒瀬はバッドボーイズと同期で、上荒磯と「バレッタ」というコンビで活動していた。初対面は黒瀬を含む福岡吉本8期生の歓迎会で、佐藤はその二つ上の先輩として彼らと顔を合わせたが、佐藤は黒瀬を「ダサイ奴」(黒瀬曰く、「当時は重ね着さえすればお洒落だと思っていた」といい、「重ね着の黒瀬」というあだ名がつけられていたらしい)と思い、黒瀬は佐藤を「寡黙で雰囲気のある、ちょっと怖い先輩」として見ていた。しばらくは特に大きな接点のないままであったが、パチンコ好きで目押しが得意だった2人は、コンバット満MCの深夜パチンコ番組のレギュラーに選ばれ、それをきっかけに親交を持つようになる。

互いのコンビが同時期に解散し、上京を考えていた2人は自然と行動を共にするようになる。そして、たまたまボケとツッコミだったことから、、2001年4月にコンビ結成した。結成当初のコンビ名は、「ブーブー・ザ・パンク」だったが、程無くして現在のコンビ名「パンクブーブー」に改める。コンビ名の由来は、それぞれの解散してしまったコンビを車に例え、「車(ブーブー=コンビ)がパンクしてもくっついて力を合わせればまだ走れる」という意味。ただ、M1GPでは後述のようにそのコンビ名が原因で、スポンサーがカー用品店だっただけに扱いに苦慮していたというエピソードもある。

東京吉本へ

当時の福岡吉本では所長の方針で、「事務所の許可なしに芸人自身の判断で東京の事務所へ移籍することは認めない」というものがあり、どうしても上京したい芸人は「一度吉本を辞め、東京吉本のオーディションを受けて入り直す」のが慣例であった(佐藤の同期で彼らよりも先に東京進出したヒロシやスパローズが、上京の際に吉本を離れたのもこのため)。上京にあたり、パンクブーブーもこれにならって一度吉本興業を辞める。東京に来たときには、吉本にこだわらず東京の芸能事務所のオーディションに参加していた。それから間もなく、東京に転勤になったその福岡吉本所長から謝罪を受け、「吉本の新しい劇場(ルミネtheよしもと)がもうすぐ完成するから、もう一度吉本に来い」と誘われて再び吉本入りを決意。ルミネの誕生と共にルミネの舞台に立ち続けている数少ない芸人でもある。

結成から2年後の2003年、NHK『爆笑オンエアバトル』に初出演し、番組記録タイとなる高得点をマーク(詳細は後述)。一躍、コアなお笑いファンの注目を集める存在となる。その後も同番組に継続出演し、屈指の強豪として知名度を上げ、同番組を支える一組となった。

第2回、第3回お笑いホープ大賞で決勝進出。第2回大会の決勝では珍しくコントを披露したが、ネタの途中で女装していた佐藤のパンツが見えてしまい、それを見た黒瀬が笑ってしまって後半のネタがおかしくなり優勝を逃した。

M-1グランプリ優勝後


 

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