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なだぎ武

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Wikipedia

なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年〈昭和45年〉10月9日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家、俳優、YouTuber。アイドルグループ・吉本坂46のメンバー。大阪府堺市出身。吉本興業(東京本社)所属。

R-1ぐらんぷり2007・2008優勝者。本名は灘儀 武(読み同じ)。妻は舞台女優の渡邊安理。

略歴

大阪府堺市に出生。

小学校卒業間際から肥満児になったことからいじめられるようになったものの、小学生時代に塾をサボった時、父親に初めて殴られ「嘘だけはつくな」と諭された経験や、いじめをする同級生を許すことで精神的優位に立とうという気持ちから、学校を休むことは無かった。中学3年で身長が伸びて普通体型になったことや、いじめの首謀者とクラスが離れたことからいじめは無くなったが、人との交流が不得手になっていたため孤独に過ごした。高校には進学せずにメッキ工場に就職したが、半年ほどで退職。その後、小学生のころから憧れていた芸能界を志し、芸能事務所のタレント募集に応募。書類審査を通過したが、面接試験のため会場まで行くも、あまりの緊張に逃げて帰ってきたことを契機に、引きこもるようになる。

引きこもりの時期は部屋にこもって、小学生時に交流のあった大学生からもらった音楽や本を手当たり次第に聴いたり読んだりして、学校で学ぶものよりも重要なものを得ていると思うことで自分を肯定していた。しかし、そういった生活を親に申し訳なく思う気持ちから、母親が部屋に届けてくれていた食事にも手を付けなくなり、飲み物と果物以外のものを口にしなくなった。ある時、鏡に映った病的に痩せ細った自分の姿に驚いて病院へ行くと、担当医から「このままでは死ぬよ」と言われたことや、引きこもっていた時期に読み耽ったジョージ秋山の漫画や、吉田拓郎の歌に衝撃を受けたことが引き金となり、挫折や負の感情をも受け入れる決意。闇の世界から脱却する一歩を踏み出すことにした。

17歳の正月に初めて観た映画『男はつらいよ』の主人公である車寅次郎の伸び伸びとした生活に憧れ、流れに身を任せる気になり、母親の勧めでラーメン店でアルバイトを始めた。しかし仕事中のケガがきっかけでアルバイトも辞め、かつて観た映画の舞台である広島県尾道市に一人旅をした。その際に食中毒で倒れていたところを旅館の女将に助けてもらい、そこでのふれあいが人嫌いを直すきっかけになる。

NSCは、幼馴染でかろうじて付き合いのあった松村博司の履歴書を勝手に書いて申し込んだ。その後、松村を説得し、NSCに入学。

1989年4月、NSC大阪の8期生として加入し、同年8月に同期の松村と『スミス夫人』を結成した。ヒッチコックの映画『スミス夫妻』がコンビ名の由来である。

授業のネタ見せでは全く笑いが取れず、芸人になる自信は持てなかったが、引きこもりから脱却する経験として一年間過ごした。ちなみにネタの酷評は1期後輩の岡村隆史(ナインティナイン)からも堂々と面白くないと言われていたほどだった。

松村のボケになだぎがツッコミを入れるも、松村が延々とボケ続けるという流れのコントが多かった。

2001年にコンビ解散。

2002年、『ザ・プラン9』にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入し、ナギナギオで活動する。

2003年、ヤナギブソンと間違えられるため、2003年に、本名の灘儀 武に改名。

2005年6月、読みやすいようにとのことで、現在の芸名に改名。

2007年、第5回R-1ぐらんぷり決勝では徳井義実(チュートリアル)と同点となり、審査員による決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果で、優勝した。

2008年、第6回R-1ぐらんぷり決勝では、「文化祭の出し物を決める高校生」を扮してコントを披露し優勝。大会2連覇となった。

2009年、宮本亜門演出の舞台『ドロウジー・シャペロン』への出演が決定。ミュージカル初挑戦となった。

2010年、第8回R-1ぐらんぷりでは3連覇を目指して出場し、決勝1回戦を1位で折り返したが、結果は3位だった。

2015年5月17日、ザ・プラン9脱退を公表。しかし、脱退後もザ・プラン9の公演に参加するなど交流がある。


 

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