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千葉和臣



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Wikipedia

千葉 和臣(ちば かずおみ、1951年12月24日 - )は、東京都練馬区出身のフォークシンガーで、海援隊のギタリストである。

元々はチューリップのメンバーだった姫野達也とともに、アマチュアバンド・ライラックを結成していたが、姫野が財津和夫に誘われチューリップに入ったことからバンドを解散、そののち中牟田俊男に誘われて海援隊に入った(1971年結成、翌年デビュー、1982年解散。1993年に再結成している)。

『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌で海援隊の代表曲となった「贈る言葉」は千葉の作曲によるものである。本人も海援隊のメンバーとして『金八先生』に第1シリーズ、第2シリーズとゲスト出演している。

来歴

1951年、東京都の練馬に生まれる。小学3年生のときに浦和市に、小学4年生の初めには仙台市に転居する。本人曰く「仙台が音楽の道を進む原点となった」ということである。ギターを始めたのも鼓笛隊で演奏したのも、初めてコンサートへ行ったのも仙台だという(初めて行ったコンサートは、仙台に来た坂本九のコンサートだった)。

中学2年生のとき福岡市に転居する。そこで姫野達也、上田雅利と出会い、バンドを組んでいる。北九州市の八幡大学へ進学後、福岡のライブハウス照和にライラックとして姫野と出演するようになる。姫野がメジャーデビューするチューリップに引き抜かれたため、ライラックは解散する。その後、千葉は海援隊にリードギターとして参加することになる。そして1972年に海援隊もメジャーデビューを果たし、アルバム『海援隊がゆく』でデビューする。大ヒット曲の「贈る言葉」や、「人として」(中牟田俊男と共作)などを作曲することとなる。

しかし、1982年に海援隊は解散、千葉はソロとして活動する。1985年にはラジオ日本の番組「ビックウエーブアイランド」に出演した。アシスタントはアイドルの水野きみこが担当した。海援隊はその後、1993年に福岡で一夜限りの再結成をし、翌年正式に再結成、現在も活動中である。千葉は中牟田と同様、四谷コタンに長年、継続して出演中である(イベント名:「けっしてやまない風」)。

千葉は加入前は海援隊の事は好きではなく、別なバンドで活動したかったという記載がある。(武田鉄矢・著「ふられ虫の唄」内にそのような記載がある)

人物

フレンドリーな性格で積極的である。大滝詠一や稲垣潤一のように透きとおった歌声で、海援隊でボーカルをとるときは夏を思わせる曲が多い(「サーフサイド・サンセット」「パラオ・ゼロ・ファイター」「漂流船」など)。

ソロライブのMCでは、本気かネタかは分からないが、武田の音楽の才能の無さを暴露して、客を笑わせるのが定番である。

女性にはモテると「ふられ虫の唄(武田鉄矢・著)」の中で書いている。また同著には千葉自身も過去には女性にふられたという経歴記載もある。

料理

料理が上手で、素材選びからの本格派。海援隊3人での同居生活時代は料理担当だった。

出演したテレビ番組


 

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