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桑野信義



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Wikipedia

桑野 信義(くわの のぶよし、1957年4月4日 - )は、日本のお笑いタレント、ミュージシャン(トランペット奏者)。「ラッツ&スター」メンバー。東京都出身。愛称は桑マン(クワマン)

略歴

生誕から高校卒業まで

1957年4月4日、東京都で出生。父親はプロトランペッターの先名信勝(本名・桑野信勝)。祖父は軍隊でラッパ手をしていた人物で、桑野曰く「ある意味、親子3代ラッパを生業とした家」。父は1963年に放送のテレビアニメ「エイトマン」主題歌の演奏にトランペットで参加しており、信義自身も30年後にリメイクされた「エイトマンAFTER」で主題歌のトランペット演奏及び歌唱を担当している。

正則高等学校卒業。ジャズのトランペッターとなった。その後、シャネルズ(後のラッツ&スター)に参加したのは、幼稚園から中学校まで一緒だったリーダーの鈴木雅之から「サックスが抜けたので手伝ってくれ」と言われたことがきっかけである。

その頃桑野は渋谷のグランドキャバレーでトランペットを吹いて月18万ほど稼いでいたが、シャネルズはまだアマであり他メンバーが昼間働いていたため、桑野もそれにならってキャバレーを辞め、昼間の様々な仕事をしたが、トラックの配送業務は会社を出れば束縛されないことに気づき、凸版印刷や西濃運輸で仕事をしたという。

シャネルズ結成からラッツ&スター活動休止まで

1975年、鈴木雅之らとともにシャネルズ結成。

1977年、YAMAHA「EAST WEST'77」出場し入賞。予選からサザンオールスターズと競い合う。1978年、YAMAHA「EAST WEST'78」出場。優秀グループ賞受賞。同年、大瀧詠一「LET'S ONDO AGAIN」に2曲参加。1980年2月25日、「シャネルズ」のメンバーとして『ランナウェイ』でデビュー。110万枚の大ヒット。その後『街角トワイライト』、『トゥナイト』、『ハリケーン』と数々のヒットを生む。

1983年4月1日、グループ名を「ラッツ&スター」に改名。改名後初のシングル『め組のひと』が60万枚を超える大ヒット。1986年頃、ラッツ&スター活動休止。メンバーそれぞれがソロワークを始める。1987年、鈴木聖美のデビューに参加(鈴木聖美 with Rats&Star)。

バラエティタレントとして

1980年代後期、田代まさしと共にバラエティに進出し、1987年にスタートした『志村けんのだいじょうぶだぁ』で本格的なお笑いの仕事を行うようになった。当初は「田代の付き添い」というイメージが先行したが、『だいじょうぶだぁ』の番組人気が上がると共に桑野個人としての人気も高まり、志村けんから実力を認められる仲にまでなった。「志村けんのバカ殿様」では、初代家老役を演じていた東八郎の逝去後、正式に二代目家老役として抜擢されており、2018年現在もレギュラー出演し続けている。

『ものまね王座決定戦』などでものまねタレントとしても活動(最初はラッツ&スターで出場、その後田代とのコンビ出場を経て単独出場に)。当初は田代の付き合い程度でものまね自体は全然似ておらず毎度一回戦敗退が当たり前の賑やかし的な存在だった。単独出場になってからも当初は毎回高島忠夫で出場しお決まりの「イエーイ」のポーズでフレーズを連呼するだけの賑やかし役のままだった。しかしその進歩のなかった芸に行き詰まりを感じて考えを改め、岡千秋の唄い方を真剣に研究して『ものまね王座』で披露したところ敗退ではあったものの過去最高の得点を記録し僅差勝負まで持ち込んだ。これ以降真剣に取り組むようになり、ラッシャー木村や和田勉などの代表作を生み出してたびたび決勝まで進むなど上位争いにも喰い込む存在となり、『だいじょうぶだぁ』でも積極的にネタを掛けるなど持ち芸として確立している。

ラッツ&スター再集結から現在

1996年4月22日、ラッツ&スター再集結。11年ぶりのシングル『夢で逢えたら』を発売。代々木第一体育館等でコンサートを行なう。この年NHK紅白歌合戦に初出場。


 

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