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イジリー岡田



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Wikipedia

イジリー岡田(イジリーおかだ、1964年(昭和39年)9月23日 - )は、日本のお笑いタレント、ものまねタレントである。本名、岡田 昇(おかだ のぼる)。ホリプロ所属。身長170cm、体重76kg。既婚。

東京都出身。実家は埼玉県さいたま市浦和区。浦和実業学園高等学校卒業。

略歴

高校生の頃からお笑いが大好きで、萩本欽一に憧れ「第6回全日本仮装大賞」に友人の代役として出場する。東放学園専門学校在籍時代にカメラアシスタントのアルバイトで、番組制作に携わるが辛さに耐えかねて辞めてしまう。

萩本欽一に憧れていたこともあり、小堺一機、関根勤の下積み時代のライブにも裏方のアルバイトとして参加経験がある。素人時代に出場したフジテレビ系列『発表!日本ものまね大賞』での敢闘賞獲得が認められ、ホリプロにスカウトされる。高校時代の友人の奥山を相方に誘い、1987年にキッドカットを結成。

ホリプロお笑い部門第1号として、多くのバラエティ番組オーディション大会で優勝するなど、実績を残し順風満帆に思えたが、生放送に寝坊を繰り返すといった、相方の遅刻癖がホリプロで問題になり、相方が解雇に追い込まれ、お笑いコンビは強制解散させられた。1990年からピン芸人として活動を始める。

コンビ時代から、ホリプロ所属のアイドルイベントで、前説や司会を担当していたことから、学習研究社(現・学研ホールディングス)の月刊誌『Momoco』において、デビュー直後のアイドルと対談するコーナー連載が決定する。そこでペンネームを命名しようということになり、客いじりが上手いから『イジリー岡田』、連載のタイトルも『イジリー岡田のアイドルいじり』に決まる。最初はあくまでペンネームのみであったが、当該コーナーの人気が上昇すると所属事務所もその気になり、「お前、明日から『イジリー岡田』だぞ。問題ないよな?」と上司から電話で一方的に通告されて正式に芸名が決定してしまう。これに対しイジリーは「問題大ありですよ。そんな最低な名前、嫌に決まっているじゃないですか」と当時を振り返っている。

ギルガメッシュないと

強制改名して数週間後、ゴールデン帯進出を狙うための足掛かりに、深夜お色気番組『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系列、1991年 - 1998年、土曜25時15分 - 26時10分)のレギュラーに抜擢される。萩本欽一を尊敬し、後輩には「下ネタとか、裸になって笑いを取るのは卑怯だ。オレは一生下ネタなんて認めないし、やらない」と下ネタ嫌いを公言していた本人の気持ちとは裏腹に、憂木瞳と共演した「夜食バンザイ」や高速ベロが生まれた「ギルガメ治療院」などのセクシー企画が大ヒット。イジリーは自他ともに認める「日本一のエロタレント」のジャンルを確立することになる。

  • 開始当初は、東京都区部のデートスポットや流行の映画・演劇等を紹介するお洒落な情報番組だったが、イジリーの出番だけは「AV女優のお宅訪問」であった。
  • 番組企画の一環として、1993年12月にはAV女優の憂木瞳とデュエットしたシングルCD「マンゴ・ナタデ・ココ」(ポニーキャニオン)をリリースしている。ちなみにノーギャラであった。
  • ギルガメと平行して、早見優のアメリカンキッズに出演した経験から「ギルガメのイメージが強烈すぎて、ゴールデンタイムと朝昼の番組は出られなかったですよ!これは大変でしたね。日本芸能界史上初の売り難いエロタレントですよ。僕の出れる時間帯は、夜中の1時から午前5時なんですよ。」とイジリーは当時を振り返った。

ギルガメッシュないと終了

『ギルガメ』終了後は、ホリプロの命令で下ネタの封印、子供向け特撮番組への出演やHiPのイベントの司会を務めるなどのイメージ改革に取り組むが、2001年に『FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島』深夜枠『裏めちゃイケ』で冒頭から陰核を連想させるギャグを連発する型破りな司会ぶりを契機に、本格的なエロ芸解禁となった。

  • 『ギルガメ』終了後もその影響は未だに根強い。日本テレビ系列『まねキン』では臨海副都心(お台場)に所在するパレットタウン、ヴィーナスフォートにロケ撮影での立ち入りをイジリーのみ禁止された。
  • AV男優と誤解されることも多く、過去一度アダルトビデオへの出演オファーがあった

番組収録中に骨折


 

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