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赤塚不二夫



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Wikipedia

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄、1935年(昭和10年)9月14日 - 2008年(平成20年)8月2日)は、日本の漫画家。

小学六年生の時、手塚治虫の『ロストワールド』に大いなるショックを受け、漫画家を志す。上京後は東京で工員などをしながら漫画修業にはげみ、つげ義春の推薦で1956年に曙出版から上梓した貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。

その後、赤塚よりも3歳年下の石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。以後作品発表の舞台を漫画雑誌に移し、1962年に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』の大ヒットで一躍人気作家となる。1967年に代表作である『天才バカボン』の爆発的ヒットと、その後の『もーれつア太郎』『レッツラゴン』『ギャグゲリラ』といった一連のヒット作や長期連載作品等により「ギャグ漫画の王様」 と謳われ、戦後ギャグ漫画史の礎を築いた。血液型はA型。

生涯

生い立ち

1935年(昭和10年)9月14日、満州国熱河省?平県古北口古城裡(現在の中華人民共和国河北省承徳市?平県と北京市密雲県古北口との境界線)に赤塚藤七と妻リヨの6人兄弟の長男として生まれる。古北口は中国内地(支那)である河北省と満州・熱河省との境界であった万里の長城において山海関と居庸関の中間地点に設けられた要害関門の町で、古来より北京(北平)と熱河とを結ぶ要地であり、当時は満州国と中華民国(冀東防共自治政府をまたぐ)との国境地帯であった。

父親である赤塚藤七(1908年4月22日 - 1979年5月17日・満71歳没)は新潟県西蒲原郡四ツ合村井随(潟東村を経て現在は新潟市西蒲区潟東地区井随)の農家出身で地元の小学校を経て苦学の末、陸軍憲兵学校の卒業試験を2番目の成績で卒業し関東軍憲兵となったが、1933年(昭和8年)に上官の理不尽ないい分が我慢できずに職を辞し、満州国警察古北口国境警察隊の保安局特務警察官として中満国境地帯で現地人への宣撫工作や、現地で抗日活動を行っていた東北抗日聯軍・八路軍等の抗日ゲリラや宋哲元・冀察政務委員会率いる国民革命軍第29軍と対峙して掃討・謀略(防諜)活動を行う特務機関員をしていた。

父・藤七は非常に厳格でなおかつ権威的であり、『のらくろ』や中島菊夫の『日の丸旗之助』 といった漫画を読むことを禁じられたり、箸の持ち方等で厳しくしつけられ、幼い頃の赤塚は恐怖感から父親が大の苦手であり畏怖を感じさせる存在だったという。しかし宣撫官という職務柄もあって普段から現地に住む中国人とも平等に接することに努め、補給された物資を現地の村人達に分けてあげたり、子供たちにも中国人を蔑視しないよう教えるなど正義感の強い人物でもあった。そのため彼には抗日ゲリラ側から当時の金額で2000円もの懸賞金がかけられていたにも関わらずに現地の村人からも密告されることもなく、また終戦直後の奉天で赤塚家の隣に住む日本人一家が報復として中国人に惨殺される中で普段から中国人と親密にしていた赤塚の家族は難を逃れている。

母親であるリヨ(1911年 - 1970年8月20日・満59歳没)は奈良県生駒郡矢田村(現・大和郡山市矢田口)出身で藤七との結婚前には満州で芸妓をしており、藤七とは宴席で出会った後に鉄道で運命的にリヨと再会。芸妓としての経験から彼女の左腕には、父とは違う別の男の名前で「○○命」と刺青が彫られていたが、藤七はこのことも含めたリヨの過去を先刻承知のうえですべて受け入れて共通の知人の仲介を経て結婚したという。赤塚はこのことを父の回想を通して知り、「これは芸妓という悲しい過去を持つ母に対して父が見せた『いたわり』なのだ」と断言している。また1968年(昭和43年)に藤七が結核に罹患した際にリヨは「とうちゃんのために」と自らの意思で刺青を除去したという。なお、リヨは子供の頃に目を傘で突かれたことが原因で右目を失明しており、少年時代の赤塚はタンスの引き出しから見つけた母の義眼であるガラス製の目玉をそうとは知らずに妹たちに見せて驚かせていたところ、母からこっぴどく怒られたと回想している。右目の視力を失っている人物としては後に赤塚の盟友となったタモリがおり、母親との共通点から親近感を抱いたこともあって彼を居候として手厚く迎え入れたとも言われている。

当時の現地での父親との体験について赤塚は著書『これでいいのだ―赤塚不二夫自叙伝』において、

と回想している。その後、日中戦争(北支事変・支那事変)の勃発により日本軍が華北(北支)へと侵攻するのに合わせて(古北口で日本勢力圏と対峙していた国民革命軍・八路軍との前線が後方へと移動したことで)古北口地域が安定したとして、1937年(昭和12年)3月に古北口国境警察隊が解散。父・藤七は危険な辺境任務を任されることとなり妻・リヨと赤塚ら子供達は大連の親類へと預けられた後、奉天で鉄西消防分署長となったが、この時も消防署の部下の中国人を差別せずに親切に接する姿勢は変わらなかったという。この時の体験について赤塚は著書において次のように回想している。

終戦

1945年(昭和20年)8月15日、赤塚は10歳の時に奉天で終戦を迎えた。しかし翌16日、中国人の群衆が鉄西の工場内にある軍需物資を狙って大挙して押し寄せ暴徒化、凄惨な殺戮に発展した。この時の体験について赤塚は著書において、

と回想している。

この時、馬小屋に潜んでいた一家は父の部下だった中国人の手助けもあり、全員中国服を着せられて消防車に乗り、鉄西から無事脱出して事なきを得た。後に赤塚は「いつも部下の中国人を可愛がっていたおやじが、ぼくたち一家を救ったと思わないわけにはいかなかった」と語っている。しかし父親は侵攻してきた赤軍によってソビエト連邦へ連行され、軍事裁判にかけられて4年間シベリアに抑留されることになる。

奉天に残された家族は赤塚が11歳だった1946年(昭和21年)に奉天を後にして海岸(渤海沿岸)の引揚船を目指して徒歩で引き揚げを始め、途中でソ連兵からの襲撃を受けてソ連軍憲兵(内務人民委員部政治将校)に助けられながらも6月15日に葫芦島から大発動艇で4日かけて(赤塚にとって初めて見る日本である)佐世保港に到着、厚生省佐世保引揚援護局(現在の浦頭引揚記念平和公園)から国鉄大村線南風崎駅を経由し汽車で母の実家がある奈良県大和郡山市矢田口に移った。

引き揚げまでに妹(次女)の綾子はジフテリアにより死去し、弟は他家へ養子に出され(後に赤塚は茨城県の常磐炭田炭鉱で働いていた彼と一度だけ再会している)、更には死んだ次女である綾子の名を授けられた生後6か月の末妹も母の実家に辿りついた直後に栄養失調のため夭折し、日本に帰還する頃には兄弟は藤雄と弟と妹の三人と半数となってしまった。その時の母親には泣く気力もなく、赤塚は「胸がえぐられるようだった」という。


 

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