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AMEMIYA

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Wikipedia

AMEMIYA(アメミヤ、本名:雨宮 陽平(あめみや ようへい)、1978年11月10日 - )は、日本のお笑い芸人、歌手。

来歴・経歴

略歴

千葉県千葉市稲毛生まれ 、同県佐倉市志津育ち。佐倉市立井野小学校、千葉県立幕張総合高等学校卒業。

1997年吉本総合芸能学院(NSC東京校/3期生)に入学。高校の同級生の西条みつとし(後のあれきさんだーおりょう)とコンビ「ノンストップ」を結成しツッコミ役を務める。NSC東京卒業後はワタナベエンターテインメントに所属。コンビ名を「ノンストップバス」と改名する。

2003年ノンストップバス解散。同年ボーカリスト「アメロック」(amerock) として転身し、同窓生と「2人バンド」を結成。2005年にはバンド名をダイナマイトオレンジに改名。同バンドを率いる歌手、エンターテイナーという形で活動する。

2009年ダイナマイトオレンジ解散。翌2010年から再びお笑い芸人としての活動を再開することを決めSMA NEET Projectに所属。ギター一本で自作の歌ネタを披露するというスタイルで活動を始める。

2011年『R-1ぐらんぷり2011』に初出場。準優勝を果たす。同年5月に放送された『イケメン歌がうまい王座決定戦スペシャル』(フジテレビ)にも初出場。優勝を果たす。

2012年『R-1ぐらんぷり2012』に出場。決勝進出を果たし、2年連続のファイナリストとなる。

高校-NSC時代

尾崎豊が大好きで、始めはお笑いよりも音楽に興味を持っていた。父親に高校の入学祝いとしてアコースティックギターを買ってもらったことがきっかけで曲作りを始め、同級生の友人らとともにバンド活動も行っていた。当時はボーカルではなくサイドギターを担当していた。

高校卒業時進路に迷っていたところ、同級生であった西条みつとし(後のあれきさんだーおりょう)がNSCに行くのを知り自分もお笑いをやってみようと入学を決意。1997年、彼と共に「ノンストップ」というコンビを組み、ツッコミを担当することとなる。当時はボケとツッコミを交えたオーソドックスなコントを主体とする芸風で、ネタを作っていたのは基本的に相方であった。

しかしNSC卒業後もお笑いでやっていこうという決意までは固まっておらず、ツッコミ役にも違和感を感じており、たまに出演していた銀座7丁目劇場が閉館するタイミングで吉本興業を辞める。これを機にお笑いそのものからも足を洗おうと考えたが、相方の説得もあり結局は新たな事務所を探すこととなる。

そんな折NSCの講師もやっていた放送作家の元祖爆笑王にワタナベエンターテインメントを勧められ、オーディションを受け一発合格する。晴れて「ナベプロ芸人」となり、コンビ名も「ノンストップ」から「ノンストップバス」へと改名する。

ノンストップバス時代

「ノンストップバス」となってからは芸風がガラリと変わり、「絵の中に閉じ込められる男」や「あの世に行くエレベーター」などストーリー性の高いシュールなコントネタを手掛けるようになった。2人のアイドル的な風貌も相まって次第に人気も高まって行き、『爆笑オンエアバトル』(NHK G)や『新しい波8』(フジテレビ)、『やるヌキッ!』(テレビ東京)などテレビの仕事も舞い込んでくるようになった。

しかし徐々に盛り上がりを見せ始める周囲の環境を余所に、常々抱いていたツッコミ役への違和感はどうにも拭い去れず、また自分の力が発揮できているという自信も持ち得なかった。他の仕事が増えた時にどうすれば良いだろうという不安に苛まれながらも我慢して活動を続けていたが、その我慢が張り通せなくなった25歳の頃、半ば強引な形でコンビ解散という道を選ぶこととなる。事務所に解散を告げに行った際は、また引き留められないようにするため頭がおかしくなったと思われた方がいいだろうと、サングラスをかけたパンクロッカーのような出で立ちで「アイ・アム・ミュージシャン!!」と連呼した。マネージャーには「俺の目の黒い内は絶対に舞台に上がらせねーからな!」と激怒されたという。


 

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